永安寺跡(読み)ようあんじあと

日本歴史地名大系 「永安寺跡」の解説

永安寺跡
ようあんじあと

[現在地名]鎌倉市二階堂

紅葉もみじ谷の瑞泉やつのずいせん寺総門近く、南傍の谷間にあったという。山号を蓬莱と称する禅宗寺院。二代関東公方の足利氏満が応永五年(一三九八)に没すると、その菩提を弔うために創建された。氏満の法号を永安寺璧山道全という。開山は夢窓疎石の法嗣曇芳周応(応永八年没)

当寺および当寺僧の名は、応永九年四月二五日の黄梅院造営条々定書(県史三)の署名中に「永安啓諸」とあって、一元啓諸の存在が知られるのをはじめ、永享四年(一四三二)八月五日の黄梅院中居方下行定書(同書)には「中義」の名がみえ、永享頃の古教妙訓等連判状(同書)には「永安梵吉」とあり、「朴仲和尚語録」にも当寺の名がみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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