ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「瞿式耜」の意味・わかりやすい解説
瞿式耜
くしきし
Qu Shi-si; Ch`ü Shi-ssǔ
[没]順治9(1652).桂林
中国,明の遺臣。字は起田。号は稼軒,耘野。万暦 44 (1616) 年に進士となり,崇禎帝に信任された。明が滅亡し福王 (→福王朱由 崧 ) が擁立されると応天府丞に任じられ,福王が捕えられ唐王 (→唐王朱聿鍵 ) が擁立されると兵部右侍郎に任じられた。唐王も清に捕えられると永明王 (→永明王朱由榔 ) を広東省の肇慶で擁立して清に対抗し,清軍の進攻の前に配下の将兵は降伏したが,式耜は永明王を奉じて各地を転じ雲南省桂林に逃れた。桂林で清に抗戦したが敗れ,順治7 (50) 年に清に捕えられ,孔有徳に降伏をすすめられたが拒絶して刑死した。その著書に捕えられて刑死するまでの間に詠んだ詩賦を集めた『浩気吟』『瞿忠宣公集』がある。
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