朝日日本歴史人物事典 「永瀬七郎右衛門」の解説
永瀬七郎右衛門(初代)
生年:生年不詳
江戸時代の大坂商人。屋号は木屋。業祖はもと肥後国の浪人であったが,天正年間(1573~92)に大坂に移住し,材木商を営み,大坂城出入りの町人として市中開発に協力。七郎右衛門(初代)はその子で木屋を号す。大坂の陣のさい徳川方にくみし,徳川秀忠にお目見えの栄を得た。大坂が天領として大坂町奉行支配下に組み入れられると,寛永4(1627)年大坂三郷の北組惣年寄に任ぜられた。 その後代々町政に当たり,同時に糸割符年寄として糸割符商人を取り締まり,長崎に下って白糸輸入事務にも関与した。木屋は町開発にも貢献し,その開削した堀川は七郎右衛門堀と称されたが,東横堀開削後は西横堀と改称された。西横堀一帯はその開発の功により七郎右衛門町と称された。享保6(1721)年から木屋を永瀬と改めた。大坂の代表的初期門閥町人のひとつである。<参考文献>「三郷惣年寄家筋書」(『大阪市史』第5),宮本又次『大阪商人』
(宮本又郎)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報