デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「永田一二」の解説 永田一二 ながた-かずじ 1850-1897 明治時代のジャーナリスト。嘉永(かえい)3年2月生まれ。母校慶応義塾の教員をへて,明治13年「愛国志林」「愛国新誌」記者となる。のち「山陽新報」「海南新聞」「再生北陸政論」などの主筆をつとめ,民権思想をひろめた。明治30年1月28日死去。48歳。豊前(ぶぜん)中津(大分県)出身。幼名は兼太郎。著作に「仏国革命盛衰記」など。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by
世界大百科事典(旧版)内の永田一二の言及 【愛国志林】より …資金,編集ともに高知の立志社が中心となり,大阪で発行。植木枝盛,永田一二らが編集,執筆にあたり,基本的人権や人民主権を主張。自由民権思想の普及に大きく貢献した。… ※「永田一二」について言及している用語解説の一部を掲載しています。 出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」 Sponserd by