江川宇礼雄(読み)エガワ ウレオ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「江川宇礼雄」の解説

江川 宇礼雄
エガワ ウレオ


職業
俳優

本名
江川 ウレオ

生年月日
明治35年 5月9日

出生地
神奈川県 横浜市山下町

学歴
高輸中〔大正9年〕卒

経歴
父はドイツ人。大正9年大正活動写真に入社、同社の文芸顧問をしていた谷崎潤一郎を通して里見弴、今東光などと交流をもつ。監督志望だったが、退社後は映画館の営業主任として勤務。のちマキノ撮影所に入り、昭和2年「紅蓮地獄」で監督デビュー。続いて「国定忠次侠血篇」などの作品を発表するが、プロダクション解散のため、6年には俳優として松竹へ。「想ひ出多き女」「青春の夢いまいづこ」「東京の女」など多くに主演戦後新東宝を経て、32年よりフリーとなり、テレビにも多数出演した。なかでもNHKの「私だけが知っている」ではレギュラーとして人気を得た。

没年月日
昭和45年 5月20日 (1970年)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「江川宇礼雄」の解説

江川 宇礼雄
エガワ ウレオ

大正・昭和期の俳優



生年
明治35(1902)年5月9日

没年
昭和45(1970)年5月20日

出生地
神奈川県横浜市山下町

本名
江川 ウレオ

学歴〔年〕
高輸中〔大正9年〕卒

経歴
父はドイツ人。大正9年大正活動写真に入社、同社の文芸顧問をしてした谷崎潤一郎を通して里見弴、今東光などと交流をもつ。監督志望だったが、退社後は映画館の営業主任として勤務。のちマキノ撮影所に入り、昭和2年「紅蓮地獄」で監督デビュー。続いで「国定忠次俠血篇」などの作品を発表するが、プロダクションの解散のため、6年には俳優として松竹へ。「想ひ出多き女」「青春の夢いまいづこ」「東京の女」など多くに主演。戦後は新東宝を経て、32年よりフリーとなり、テレビにも多数出演した。なかでもNHKの「私だけが知っている」ではレギュラーとして人気を得た。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「江川宇礼雄」の解説

江川宇礼雄 えがわ-うれお

1902-1970 大正-昭和時代の映画俳優
明治35年5月9日生まれ。父はドイツ人。大正9年大正活動写真にはいる。昭和2年高松プロの「紅蓮(ぐれん)地獄」で監督デビュー。のち俳優に転じ,松竹,日活,新東宝などで活躍し,「東京の女」などに出演。テレビでも活躍。藤原義江らと混血児救済につくした。里見弴(とん)「多情仏心」の不良少年のモデル。昭和45年5月20日死去。68歳。神奈川県出身。高輪中学卒。本名はウレオ。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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