江月村(読み)えつきむら

日本歴史地名大系 「江月村」の解説

江月村
えつきむら

[現在地名]養老町江月

祖父江そぶえ村の南、南流する杭瀬くいせ川の右岸にある。西側を小畑おばた川、南側を牧田まきだ川が流れ、上江月・下江月の二集落からなる。下江月の南は烏江からすえ村。天文一〇年(一五四一)四月二三日付の懸仏(多岐神社蔵)の裏面墨書銘に「多藝庄大塚高山、卯月御講人江月郷 田中又八藤原吉□」とある。慶長郷帳に村名がみえ、高七五三石余。元和二年(一六一六)の村高領知改帳には江付村と記され幕府領正保郷帳では尾張藩領で田三三一石余・畑四二二石余、野年貢二石。明暦覚書によれば元和五年から尾張藩領で、概免二ツ六分六厘余、人数二五四、馬一八。「濃州徇行記」では家数六四・人数三一七、馬九。

江月村
えづきむら

[現在地名]鋸南町江月

吉浜よしはま村・大六だいろく村の北東大帷子おおかたびら村の西に位置する。慶長二年(一五九七)検地が行われ、田方七四石余・六町余、畑方七三石余・一〇町余、名請人三一(ただし入作者を含む)。元和六年(一六二〇)の検地では田七町余・畑五町余に変化している(鋸南町史)。正保郷帳では田高七四石余・畑高七四石余、佐倉藩領。万治二年(一六五九)の佐倉藩勝山領取箇帳(吉野家文書)によると、高一七一石余のうち永荒や川欠が八斗余あり、残高は一七〇石余。うち田方一〇七石余(免四ツ五分)・畑方四九石余(免三ツ)・新山畑一二石余(免二ツ二分)・山役一石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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