江田島村(読み)えたじまむら

日本歴史地名大系 「江田島村」の解説

江田島村
えたじまむら

[現在地名]江田島町 本浦ほんうら切串きりくし一帯

江田島は古く衣田島と書き、安摩あま庄に属していた。仁治三年(一二四二)三月一二日付安芸国安摩荘内衣田島荘官百姓等解(巻子本厳島文書)によれば、当時島内の名主と思われる百姓一〇人の名が知られるが、そのうちの少なくとも五人は水夫として厳島神社へ日御供米を運んでいる(嘉禎四年一〇月二日・延応元年一〇月一三日・同年一一月一六日付「安摩庄厳島社日御供米送文」厳島野坂文書)。また前記荘官百姓等解には百姓とともに荘官として国侍紀宗則、惣追捕使藤原重高、惣公文平守澄が署名、ほかに小公文紀為宗がいたが、彼は烏帽子子でもある宮内みやうち(現佐伯郡廿日市町)の俊士次郎と三郎なる者に殺されている。鎌倉末・南北朝期の衣田島公文職は西隣の能美のうみ島に本拠を置く高田氏(能美氏)であったが、平姓を名乗っているところから、かつての惣公文平守澄の同族とも考えられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

2022年度から実施されている高校の現行学習指導要領で必修となった科目。実社会や実生活で必要となる国語力の育成を狙いとし、「話す・聞く」「書く」「読む」の3領域で思考力や表現力を育てる。教科書作りの...

現代の国語の用語解説を読む