広島県南西部の市。江田島,能美(のうみ)島などの島々からなる。2004年11月旧江田島,大柿(おおがき),沖美(おきみ),能美の4町が合体して成立した。人口2万7031(2010)。
江田島市北東部の旧町。旧安芸郡所属。広島湾東部にあるY字型の島の右枝で,飛渡瀬(ひとのせ)の州により西方の能美島と接続している。東側の呉湾を隔てて呉市と対する。面積30km2。古鷹(ふるたか)山(394m)をはじめ大部分が花コウ岩からなる山地で,海岸の平地はごく狭い。人口1万2824(2000)。古くは衣田島と書いた。1888年中心集落の本浦に海軍兵学校が設置され多くの提督が育つと,江田島の名は内外に知られていった。現在は海上自衛隊の第1術科学校,幹部候補生学校などが置かれている。山腹斜面の段々畑でネーブル,ミカンなどかんきつ類をつくり,平地では広島市や呉市むけの野菜栽培が盛んで,カキの養殖業も行われる。広島市,呉市へフェリーと高速艇の便があり,通勤・通学に利用される。津久茂に国立江田島青年の家がある。
執筆者:藤原 健蔵
江田島市南部の旧町。旧佐伯(さえき)郡所属。人口9209(2000)。能美島南部に位置し,ほとんどが丘陵性山地で,真道(しんどう)山(287m)を中心とする北部山地と陀峰(たぼう)山(438m)を中心とする南部山地に分かれる。集落は北東部の飛渡瀬低地と中央西部の大原低地,および沿岸のわずかな平地に展開する。東の倉橋島とは早瀬大橋(1973完成)により結ばれ,さらに音戸大橋(1961完成)を経て本土の呉市まで陸続きとなっている。温暖な瀬戸内式気候を生かしてミカン,野菜,花卉栽培が行われ,漁業はカキ養殖が中心。製造業では伝統的な綿工業のほか,輸送用機械器具,金属製品,食料品などがある。自然環境に恵まれ,広島広域都市圏のレクリエーション地帯の一翼を担っている。
執筆者:赤池 享一
江田島市中部の旧町。旧佐伯郡所属。1956年沖村,三高村が合体,町制。人口4052(2000)。広島湾の能美島北西部,大黒神島,小黒神島,大那沙美島などからなる。中心集落は北の玄関口の三吉であるが,役場は南部の畑にある。温暖で雨量が少ないため,ミカンの栽培が盛んで,近郊野菜や花卉も栽培されている。漁業も行われ,従来はイワシ漁が主であったが,近年はカキの養殖が盛んで,栽培漁業への転換が行われている。鉄工団地が南部の赤曲鼻付近に造成され,造船関連企業を誘致した。第2次大戦前は要塞地帯であった岸根は,現在,海水浴場,釣場となっている。宇品港へフェリー,高速船が通じ,広島市への通勤者が増加している。
執筆者:清水 康厚
江田島市北西部の旧町。旧佐伯郡所属。人口6193(2000)。広島湾内にある能美島の中央部を占める。北と南は海に面し,西は能登呂(のとろ)山(542m)の尾根を境に沖美町に,東は真道山の稜線で大柿町に接する。集落は海岸部や中央部に細長く開けた低地のほか,丘陵の緩斜面に密集している。第2次大戦前からサツマイモの産地であったが,近年はかんきつ類,野菜,花卉類の栽培が盛ん。北の江田島湾に面する高田ではカキの養殖,南の鹿川(かのかわ)湾に面する鹿川ではイワシ漁などが行われる。ミカン狩り,潮干狩り,釣りなどに訪れる人も多い。広島方面とはフェリーおよび高速艇で結ばれる。
執筆者:赤池 享一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
広島県西部、広島湾内にある江田島と、陸続きになっている能美(のうみ)島、および周辺の島からなる市。2004年(平成16)安芸(あき)郡江田島町と、佐伯(さえき)郡の能美町、沖美町(おきみちょう)、大柿町(おおがきちょう)の4町が合併して市制施行、広島県15番目の市となった。合併前の町名が、そのまま新市の町名として残されている。
旧江田島町は江田島全域からなり、広島港や呉(くれ)港から船便があり、両市への通勤者も多い。1888年(明治21)海軍兵学校が置かれ、一漁村は全国的に知られるようになった。1956年以降は海上自衛隊第一術科学校や幹部候補生学校があり、構内の教育参考館は旧海軍の資料を集める。花卉(かき)、野菜栽培のほか、カキの養殖などを行う。
旧能美町は能美島の中央部を占め、中町港から広島市宇品(うじな)へ高速船やフェリーが通じる。旧沖美町は能美島北西部(西能美島)、大黒神(おおくろかみ)島、大奈佐美(おおなさび)島などからなり、三高(みたか)港から広島市まで船が通じる。旧大柿町は能美島南部(東能美島)からなり、倉橋島の呉市とは早瀬大橋で結ばれ、さらに旧音戸町の音戸大橋を通じて本土の呉市ともつながっている。花卉(かき)、ミカン、野菜栽培などの近郊農業が盛んで、カキなどの養殖も行われている。面積100.72平方キロメートル、人口2万1930(2020)。
[北川建次]
『『江田島町史』(1958・江田島町)』▽『『江田島町史』(2001・江田島町)』
広島県西部、広島湾内にある島。江田島市に属する。南西部の飛渡瀬(ひとのせ)とよばれる地峡によって能美(のうみ)島と連結している。全島花崗(かこう)岩からなる山地で、平地に乏しい。島のほぼ中央にある古鷹(ふるたか)山(376メートル)が最高峰である。東は呉(くれ)湾を隔てて呉市に接し、北は似島(にのしま)などを隔てて広島市に接する。西の能美島との間には江田島湾があり、北西部の津久茂(つくも)瀬戸で外海と通じている。集落は海岸に沿って点在し、山の斜面まで耕地化されている。1888年(明治21)海軍兵学校が東京の築地(つきじ)から江田島に移転、以後、第二次世界大戦が終了するまで続き、「江田島」は海軍兵学校の代名詞として使われた。地続きの能美島と合わせた面積は91.44平方キロメートル、人口2万7031(2010)。
[北川建次]
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…古鷹(ふるたか)山(376m)をはじめ大部分が花コウ岩からなる山地で,海岸の平地はごく狭い。一島で安芸郡江田島町を構成し,人口1万4130(1995)。古くは衣田島と書いた。…
…イギリスの海軍少佐ダグラスArchibald L.Douglas以下34名の教官団による教育が始まったのは1873年で,これにより学校の基礎は固まり,イギリスの風俗習慣に根ざした紳士教育の伝統が移植された。88年学校施設は広島県江田島に移転,江田島は兵学校の代名詞となった。生徒の採用年齢は16歳以上19歳以下,学術試験および身体検査により選抜され,教育は将来兵科将校として勤務に必要な学術の修習,徳性の涵養,体力の練成に重点が置かれ,修業年限は3~4年。…
※「江田島」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...
12/17 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新