江田島(読み)エタジマ

デジタル大辞泉 「江田島」の意味・読み・例文・類語

えた‐じま【江田島】

広島湾東部の島。能美島のうみじま地峡で連なる。もと海軍兵学校所在地。現在は海上自衛隊第1術科学校などがある。
広島県南西部、瀬戸内の市。能美島と周辺の島々からなる。カキ・ちりめんざこなどの海産物柑橘かんきつ類を産出。平成16年(2004)11月に江田島町能美町沖美町大柿町が合併して成立。人口2.7万(2010)。

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精選版 日本国語大辞典 「江田島」の意味・読み・例文・類語

えたじま【江田島】

広島県南西部の地名。江田島・西能美島東能美島陸続きの一島)とその付属島からなる。フェリー広島市と、早瀬大橋音戸大橋呉市と結ばれる。旧海軍兵学校が置かれた。平成一六年(二〇〇四)市制。

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改訂新版 世界大百科事典 「江田島」の意味・わかりやすい解説

江田島[市] (えたじま)

広島県南西部の市。江田島,能美(のうみ)島などの島々からなる。2004年11月旧江田島,大柿(おおがき),沖美(おきみ),能美の4町が合体して成立した。人口2万7031(2010)。

江田島市北東部の旧町。旧安芸郡所属。広島湾東部にあるY字型の島の右枝で,飛渡瀬(ひとのせ)の州により西方の能美島と接続している。東側の呉湾を隔てて呉市と対する。面積30km2。古鷹(ふるたか)山(394m)をはじめ大部分が花コウ岩からなる山地で,海岸の平地はごく狭い。人口1万2824(2000)。古くは衣田島と書いた。1888年中心集落の本浦に海軍兵学校が設置され多くの提督が育つと,江田島の名は内外に知られていった。現在は海上自衛隊の第1術科学校,幹部候補生学校などが置かれている。山腹斜面の段々畑でネーブル,ミカンなどかんきつ類をつくり,平地では広島市や呉市むけの野菜栽培が盛んで,カキの養殖業も行われる。広島市,呉市へフェリーと高速艇の便があり,通勤・通学に利用される。津久茂に国立江田島青年の家がある。
執筆者:

江田島市南部の旧町。旧佐伯(さえき)郡所属。人口9209(2000)。能美島南部に位置し,ほとんどが丘陵性山地で,真道(しんどう)山(287m)を中心とする北部山地と陀峰(たぼう)山(438m)を中心とする南部山地に分かれる。集落は北東部の飛渡瀬低地と中央西部の大原低地,および沿岸のわずかな平地に展開する。東の倉橋島とは早瀬大橋(1973完成)により結ばれ,さらに音戸大橋(1961完成)を経て本土の呉市まで陸続きとなっている。温暖な瀬戸内式気候を生かしてミカン,野菜,花卉栽培が行われ,漁業はカキ養殖が中心。製造業では伝統的な綿工業のほか,輸送用機械器具,金属製品,食料品などがある。自然環境に恵まれ,広島広域都市圏のレクリエーション地帯の一翼を担っている。
執筆者:

江田島市中部の旧町。旧佐伯郡所属。1956年沖村,三高村が合体,町制。人口4052(2000)。広島湾の能美島北西部,大黒神島,小黒神島,大那沙美島などからなる。中心集落は北の玄関口の三吉であるが,役場は南部の畑にある。温暖で雨量が少ないため,ミカンの栽培が盛んで,近郊野菜や花卉も栽培されている。漁業も行われ,従来はイワシ漁が主であったが,近年はカキの養殖が盛んで,栽培漁業への転換が行われている。鉄工団地が南部の赤曲鼻付近に造成され,造船関連企業を誘致した。第2次大戦前は要塞地帯であった岸根は,現在,海水浴場,釣場となっている。宇品港へフェリー,高速船が通じ,広島市への通勤者が増加している。
執筆者:

江田島市北西部の旧町。旧佐伯郡所属。人口6193(2000)。広島湾内にある能美島の中央部を占める。北と南は海に面し,西は能登呂(のとろ)山(542m)の尾根を境に沖美町に,東は真道山の稜線で大柿町に接する。集落は海岸部や中央部に細長く開けた低地のほか,丘陵の緩斜面に密集している。第2次大戦前からサツマイモの産地であったが,近年はかんきつ類,野菜,花卉類の栽培が盛ん。北の江田島湾に面する高田ではカキの養殖,南の鹿川(かのかわ)湾に面する鹿川ではイワシ漁などが行われる。ミカン狩り,潮干狩り,釣りなどに訪れる人も多い。広島方面とはフェリーおよび高速艇で結ばれる。
執筆者:

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「江田島」の意味・わかりやすい解説

江田島
えたじま

広島県西部、広島湾内にある島。江田島市に属する。南西部の飛渡瀬(ひとのせ)とよばれる地峡によって能美(のうみ)島と連結している。全島花崗(かこう)岩からなる山地で、平地に乏しい。島のほぼ中央にある古鷹(ふるたか)山(376メートル)が最高峰である。東は呉(くれ)湾を隔てて呉市に接し、北は似島(にのしま)などを隔てて広島市に接する。西の能美島との間には江田島湾があり、北西部の津久茂(つくも)瀬戸で外海と通じている。集落は海岸に沿って点在し、山の斜面まで耕地化されている。1888年(明治21)海軍兵学校が東京の築地(つきじ)から江田島に移転、以後、第二次世界大戦が終了するまで続き、「江田島」は海軍兵学校の代名詞として使われた。地続きの能美島と合わせた面積は91.44平方キロメートル、人口2万7031(2010)。

[北川建次]


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「江田島」の意味・わかりやすい解説

江田島
えたじま

広島県南西部,江田島市北東部の旧町域。広島湾内の江田島からなる。 1951年町制。 2004年能美町,沖美町,大柿町の3町と合体して江田島市となった。古鷹山 (376m) をはじめ山地が大部分を占め,集落は海岸に点在。緩斜面の段々畑で野菜やミカン,ネーブルオレンジを栽培,観光農園も盛ん。カキの養殖も行なわれる。 1888年東京から海軍兵学校が中心集落の本浦に移転,「東洋のアナポリス」として発展した。その跡は海上自衛隊幹部候補生学校,同術科学校となっている。校内の教育参考館には特攻隊員の遺書,人間魚雷などが展示されている。西部の津久茂には国立江田島青年の家がある。

江田島
えたじま

広島県南西部,広島湾内の島。行政上は江田島市に属する。能美島とは飛渡瀬 (ひとのせ) の地峡部でつながる。大部分は山地で海岸にわずかの平地がある。古鷹山 (376m) は,江田島の最高峰。旧海軍兵学校が置かれたことで知られ,その跡は海上自衛隊幹部候補生学校,同術科学校となっている。面積 30.09km2。人口1万 4131 (1995) 。

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デジタル大辞泉プラス 「江田島」の解説

江田島

広島県江田島市、広島湾中央部にある島。南部で能見島と陸続きになっており、実質的にはひとつの島の東側にあたる。両島をあわせた面積は約91.53平方キロメートル。隣接する倉橋島とは早瀬大橋で結ばれる。明治時代に海軍兵学校が設置され、現在は海上自衛隊第1術科学校となっている。

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世界大百科事典(旧版)内の江田島の言及

【海軍兵学校】より

…イギリスの海軍少佐ダグラスArchibald L.Douglas以下34名の教官団による教育が始まったのは1873年で,これにより学校の基礎は固まり,イギリスの風俗習慣に根ざした紳士教育の伝統が移植された。88年学校施設は広島県江田島に移転,江田島は兵学校の代名詞となった。生徒の採用年齢は16歳以上19歳以下,学術試験および身体検査により選抜され,教育は将来兵科将校として勤務に必要な学術の修習,徳性の涵養,体力の練成に重点が置かれ,修業年限は3~4年。…

※「江田島」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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