池尻城跡(読み)いけじりじようあと

日本歴史地名大系 「池尻城跡」の解説

池尻城跡
いけじりじようあと

[現在地名]大垣市池尻町

池尻の地の北の高地にあったとされ、天文年間(一五三二―五五)頃、美濃国守護土岐頼芸の家臣として不破・安八両郡において三千貫を領した飯沼対馬守長就によって築城されたという(「美濃明細記」など)。当地は、不破関から美濃平野に臨む要衝の地で、土岐・斎藤両氏の時代には、越前朝倉氏・近江浅井氏に対する押えの城として重要な役割を果した。長就の子勘平長継は織田信長に仕えて勢力を張り、元亀元年(一五七〇)近江姉川あねがわの合戦の際には横山よこやま(現滋賀県長浜市)の攻撃に軍功をたて、同年の堅田かたた(現大津市)の戦いでは朝倉勢を迎え撃って戦功をたてたが、長継の一族飯沼二郎兵衛長宗ら多くの犠牲者を出している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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