沖浜町(読み)おきのはままち

日本歴史地名大系 「沖浜町」の解説

沖浜町
おきのはままち

[現在地名]大分市勢家町せいけまち一―二丁目・住吉町すみよしまち一―二丁目・勢家など

勢家町の東、住吉川左岸の海岸部に位置する。城下北西端の堀川ほりかわ口を出て住吉川に架かる仙石せんごく橋を渡り、住吉社の辺りから右折して北に進む道沿いの町筋を中心とする。府内城主早川氏が文禄五年(一五九六)七月の地震で水没した沖浜の住民を移して居住させたという(雉城雑誌)。城下の門外にありながら町方として扱われ、勢家庄屋の支配を受けた。戦国時代府中絵図(大分市史)では河口近くに一之宮(住吉社か)が描かれる。慶長府内絵図には仙石橋西側の南北に延びる町筋に沖浜町と記され、正保府内城絵図によれば東側二〇八間・西側一七〇間、東西の入一八間。城絵図では当町と西隣の勢家浦町の南側にも町域があり、東西の入一八間。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報