沖縄戦と住民収容

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沖縄戦と住民収容

米軍は1945年3月26日に慶良間諸島、4月1日に沖縄本島上陸、日本軍との間で地上戦が始まった。戦闘は多くの民間人を巻き込み、沖縄県民の約4人に1人が死亡、日米双方の犠牲者は20万人以上に達した。日本軍の組織的戦闘は6月下旬の牛島満陸軍司令官の自決で終わり、日本の終戦後の9月7日に沖縄守備軍は正式に降伏調印した。

米軍は投降した日本兵は屋嘉(金武町)に集め、民間人は県内16地区の収容所に送った。県民の収容所からの解放が始まるのは45年10月以降。少なくとも46年6月まで民間人収容所は県内に残っていた。

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