沢新田村
さわしんでんむら
[現在地名]余目町沢新田
古関村の北、最上川西岸にある。慶安三年(一六五〇)清川組肝煎村(現立川町)の森居兵九郎により開発されたといわれ(大和村郷土誌・沢新田史)、延宝七年(一六七九)の村立始め年数につき覚(大泉紀年)にも二九年以前の寅年(慶安三年)に村立てし、承応三年(一六五四)から郡役を負担したとある。立谷沢川流域の住民が川欠けがひどいため狩川村(現同上)の西方に新村をつくり、立谷沢の沢をとり沢新田村と名付けたという。
沢新田村
さわしんでんむら
[現在地名]越路町沢下条
下条村の北。北に隣する親沢村(現長岡市)との地境の沢地を太田谷と称し、この谷をもって太田保と紙屋庄との地境としたと伝える。口碑では、寛永一〇年(一六三三)高田城主松平光長の支配の時、下条村高辻のうちから分離独立したと伝える(昭和三〇年「岩塚村誌」)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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