日本歴史地名大系 「太田保」の解説
太田保
おおたほ
- 富山県:富山市
- 太田保
〔成立過程〕
開発の始まった時期ははっきりしないが、一二世紀初頭に在庁官人の流れをくむ太田氏による私領化が進んだとみられる。太田氏の祖は京都
現滋賀県
〔関東御家人太田氏〕
「白山宮荘厳講中記録」建保三年(一二一五)条に蔵人所絵師覚賢が描いた白山神像を「供養以後、越中大田ニ相知女房ニヒホクムテ、可令施入之由」とあり、これが太田の地名の初見とされる。鎌倉期には金沢文庫蔵「御影供導師次第」紙背文書に「大田ノ保」とみえる。
太田保
おおたほ
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報