沢蘭子(読み)サワ ランコ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「沢蘭子」の解説

沢 蘭子
サワ ランコ


職業
女優

本名
松本 志づ子

別名
芸名=泉 蘭子,沢 らん子

生年月日
明治36年 7月25日

出生地
宮城県 仙台市

出身地
千葉県

学歴
東京家政女学校〔大正8年〕中退,宝塚音楽歌劇学校

経歴
大正8年宝塚音楽歌劇学校に入り、9年泉蘭子の名で「月光の曲」に出演。10年夏季公演「ネヴィーライフ」で平和の女神を主演し、期待されたが、12年退団。同年沢らん子を芸名にして松竹蒲田入社。のち日活向島を経て、13年帝キネ芦屋入社、沢蘭子と改名。映画「恋慕地獄」に主演、つづく「籠の鳥」でもヒロインを演じる。同作品は帝キネ創立以来の大ヒットとなり、一躍人気スターに。14年アシヤ映画に所属し、昭和2年日活へ復帰。4年美濃部進(後の岡譲二)との恋愛事件で退社、結婚。いったん映画界から離れたが、6年松竹蒲田入社、「愛の闘ひ」に主演してカムバック。7年「勝敗」で岡譲二と共演。11年フリーとなり、千恵蔵プロ「女殺油地獄」で力演。12年「白薔薇は咲けど」への出演を最後に映画を離れ、岡とも離婚し渡米。船中で指揮者の近衛秀麿と知り合い、13年渡欧、ベルリン同棲。ドイツ語の勉強をする一方、子爵夫人として社交界でも活躍。しかし第二次大戦激化近衛と離れ離れになり、21年帰国。22年大映京都に入ったが24年退社。晩年銀座や京都でシャンソン歌手として活動した。

没年月日
平成15年 1月11日 (2003年)

家族
父=沢 幸次郎(漢学者)

伝記
銀幕の昭和―「スタア」がいた時代 筒井 清忠 編著,井上 理砂子,板倉 宏臣,中沢 まゆみ 著(発行元 清流出版 ’00発行)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「沢蘭子」の解説

沢 蘭子
サワ ランコ

大正・昭和期の女優



生年
明治36(1903)年7月25日

没年
平成15(2003)年1月11日

出生地
宮城県仙台市

出身地
千葉県

本名
松本 志づ子

別名
旧芸名=泉 蘭子,沢 らん子

学歴〔年〕
東京家政女学校〔大正8年〕中退,宝塚音楽歌劇学校

経歴
大正8年宝塚音楽歌劇学校に入り、9年泉蘭子の名で「月光の曲」に出演。10年夏季公演「ネヴィーライフ」で平和の女神を主演し、期待されたが、12年退団。同年沢らん子を芸名にして松竹蒲田入社。のち日活向島を経て、13年帝キネ芦屋入社、沢蘭子と改名。映画「恋慕地獄」に主演、つづく「籠の鳥」でもヒロインを演じる。同作品は帝キネ創立以来の大ヒットとなり、一躍人気スターに。14年アシヤ映画に所属し、昭和2年日活へ復帰。いったん映画界から離れたが、6年松竹蒲田入社、「愛の闘ひ」に主演してカムバック。7年「勝敗」で岡譲二と共演。11年フリーとなり、千恵蔵プロ「女殺油地獄」で力演。12年「白薔薇は咲けど」への出演を最後に映画を離れ、渡米。船中で指揮者の近衛秀麿と知り合い、13年渡欧、ベルリンで同棲。ドイツ語の勉強をする一方、子爵夫人として社交界でも活躍。しかし第二次大戦の激化で近衛と離れ離れになり、21年帰国。22年大映京都に入ったが24年退社。晩年は銀座や京都でシャンソン歌手として活動した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

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