河内国衙跡
かわちこくがあと
[現在地名]藤井寺市
国府一―三丁目・
惣社一―二丁目辺り
河内国はかつては和泉国をもその領域としたが、その分立後も一四郡を管し、「延喜式」でも大国に分類されている。国衙に関しては「和名抄」に「国府在
志紀郡
」とあるのみで、考古学的調査も部分的に行われている段階である。しかし旧志紀郡内の現藤井寺市域に国府・惣社・鎰田・御門・船橋などの地名が残り、これらからすると、国府台地の北端部の市野山古墳(允恭天皇陵に治定)の北東部に国衙があったことはほぼ確実で、河内国が大国であったことからすると、規模は八町四方と推定される。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
Sponserd by 