河東中島村(読み)かとうなかじまむら

日本歴史地名大系 「河東中島村」の解説

河東中島村
かとうなかじまむら

[現在地名]昭和町河東中島

東は押越おしこし村、西は飯喰いつくい村、南はくち(現玉穂町)、北は玉川たまがわ(現竜王町)。村内を中田なかた川・磯部いそべ川・山伏やまぶし川が南に流れる(「書上」内藤幹彦家文書)駿州往還が村内を貫き、その宿場町であった。慶長六年(一六〇一)検地帳(県立図書館蔵)では上田三町一反余・中田一一町余・下田一五町八反余・下々田五町余、上畑四町一反余・中畑七町八反余・下畑三町一反余・下々畑二反余、屋敷一町八反余、熊蔵荒田畑四反五畝余・弾正荒田畑七反九畝余、桑七三把、ほかに番匠屋敷三畝余・鍛冶屋敷五畝余があるのは街道の宿駅からか。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む