河渡村(読み)ごうどむら

日本歴史地名大系 「河渡村」の解説

河渡村
ごうどむら

[現在地名]岐阜市河渡・西河渡にしごうど

長良川右岸に位置し、東対岸は厚見あつみ江崎えざき村、北は寺田てらだ村、西は本巣郡高屋たかや(現北方町)生津なまづ(現穂積町)河渡輪中に含まれ、中山道が通る。集落は長良川沿いと中山道沿いにある。河戸・川戸・合渡・江戸・江渡・郷戸など様々に記されたが、元禄(一六八八―一七〇四)末年の頃にほぼ河渡の表記に落着いたとみられる。「言継卿記」永禄一二年(一五六九)一一月一二日条に「江戸」とみえ、岐阜に下向した山科言継は、この日垂井たるい宿(現不破郡垂井町)を出立し、赤坂あかさか(現大垣市)を経て、呂久ろく(現本巣郡巣南町)から一里半の「門尻江戸」に至り、さらに一里半で岐阜城下に到着した。元亀二年(一五七一)一二月一五日にも当地を通過している。天正(一五七三―九二)の頃から関ヶ原の合戦まで当地は戦略上の要衝であった。天正一一年一一月一三日の稲葉一鉄書状(加納文書)によれば、安藤守就が「江渡」より北方きたがた(現北方町)へ移り立籠ったのを加納悦右衛門が討取ったことを賞し、大野郡のうち、更地さらじ西上秋にしかんだけ三ヵ村(現揖斐郡大野町)の支配を認めている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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