河田迪斎(読み)かわだてきさい

精選版 日本国語大辞典 「河田迪斎」の意味・読み・例文・類語

かわだ‐てきさい【河田迪斎】

  1. 江戸後期の朱子学者。高松の人。名は興。字は猶興。江戸に出て昌平黌尾藤二洲に学び、佐藤一斎の婿となる。のち林家の都講、昌平黌の儒学教授。安政元年(一八五四)、米使の来航に当たって、条約文を草した。著「恵迪斎全集」「水雲問答」など。文化三~安政六年(一八〇六‐五九

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「河田迪斎」の解説

河田迪斎 かわだ-てきさい

1806-1859 江戸時代後期の儒者
文化3年1月15日生まれ。近藤篤山(とくざん)に師事。江戸で昌平黌(しょうへいこう)にまなび,佐藤一斎の養子となる。のち林家の塾頭につき,嘉永7年(1854)ペリー再来航の際,林復斎にしたがって条約文を起草した。安政6年1月17日死去。54歳。讃岐(さぬき)(香川県)出身。名は興。字(あざな)は猶興。通称は八之助。別号に屏淑,恵迪斎。編著に「水雲問答」。

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