沼津兵学校跡(読み)ぬまづへいがつこうあと

日本歴史地名大系 「沼津兵学校跡」の解説

沼津兵学校跡
ぬまづへいがつこうあと

[現在地名]沼津市大手町三丁目など

明治初期に静岡藩(府中藩)によって開かれた洋学教育機関。慶応四年(一八六八、明治元年)徳川氏が駿河国府中(明治二年静岡と改称)に移封されると、徳川家では阿部邦之助(潜)や江原鋳三郎(素六)によって前々から建議されていた家臣子弟を対象とした士官養成学校の設立を実行に移した。明治元年一二月に入学資格や教科内容などを示した掟書が出され、翌二年一月、徳川兵学校として沼津城内に設立された。校舎は沼津城二の丸の旧城主水野氏の居館を使用。初代頭取に西周が就任し、ほかの教授たちものちに「日本地誌提要」を著した塚本桓甫、米・蘭留学経験のある赤松則良(のち海軍中将)など、西洋の新知識を学んだ人々であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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