沼津兵学校(読み)ぬまづへいがっこう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

沼津兵学校
ぬまづへいがっこう

明治1 (1868) 年 12月徳川氏が沼津に開いた洋学兵学教育機関。西周頭取 (校長) として幕府関係の洋学者を結集して設けられた。当初は徳川家兵学校と呼ばれたが,同3年沼津兵学校と改称。翌年兵部省に移管され,まもなく廃校同校の付属小学校 (68開設) も設立の早い小学校として有名。

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百科事典マイペディアの解説

沼津兵学校【ぬまづへいがっこう】

明治維新の際,徳川家の駿府(すんぷ)移封に伴い旧幕臣により1868年沼津に設立された徳川兵学校が,1870年改称されたもの。西周(にしあまね)を頭取として旧幕臣の子弟らに欧米近代兵学を教えた。のち明治政府(兵部(ひょうぶ)省)に移管,1872年陸軍兵学寮に併合され廃校。その付属小学校は,日本の小学校の源流の一つになった。
→関連項目赤松則良

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世界大百科事典 第2版の解説

ぬまづへいがっこう【沼津兵学校】

明治初期,静岡藩(徳川家)が開いた洋学教育機関。明治維新に際し沼津に移住した旧幕臣が,陸軍将校の養成を目的とし,1869年(明治2)1月沼津城内に開校した徳川家兵学校がその起源である。翌70年沼津兵学校と改称,廃藩置県後は政府所管となり兵部省に移管,72年東京の兵学寮に吸収され廃校となった。当初,陸軍頭取服部綾雄が管理し,教授には頭取として西周(にしあまね)が就任するなど当時の第一級の知識人があたった。

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大辞林 第三版の解説

ぬまづへいがっこう【沼津兵学校】

1868年(明治1)沼津につくられた洋式兵学および洋学のための教育機関。72年東京の兵学寮に吸収。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

沼津兵学校
ぬまづへいがっこう

明治初年、静岡(駿府(すんぷ))藩が士官養成のために開いた洋学・兵学の教育機関。1868年(明治1)12月、沼津城内(静岡県沼津市)に設置され、附属小学校も置かれた。「王政復古」により徳川氏は70万石の一藩となったが、ここでこれまでの幕府所管の西洋文物と洋学者を基礎に士官の養成を試みた。西周(あまね)(周助)を頭取に、伴(ばん)鉄太郎、塚本明毅(あきたけ)(桓甫)、赤松大三郎(則良(のりよし))、田辺太一(やすかず)、大築(おおつき)保太郎(尚志(なおし))らの教授陣をそろえ、69~70年の時点では、日本では唯一かつ最高の科学技術の拠点だったとされている。明治時代の近代科学の端緒を開いたといわれるゆえんである。71年の廃藩置県により兵学寮に移管、翌年廃止された。[田中 彰]
『米山梅吉著『幕末西洋文化と沼津兵学校』(1934・私家版) ▽大野虎雄著『沼津兵学校と其人材』(1983・安川書店)』

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