改訂新版 世界大百科事典 「沼津兵学校」の意味・わかりやすい解説
沼津兵学校 (ぬまづへいがっこう)
明治初期,静岡藩(徳川家)が開いた洋学教育機関。明治維新に際し沼津に移住した旧幕臣が,陸軍将校の養成を目的とし,1869年(明治2)1月沼津城内に開校した徳川家兵学校がその起源である。翌70年沼津兵学校と改称,廃藩置県後は政府所管となり兵部省に移管,72年東京の兵学寮に吸収され廃校となった。当初,陸軍頭取服部綾雄が管理し,教授には頭取として西周(にしあまね)が就任するなど当時の第一級の知識人があたった。14~18歳の家臣子弟を入学させ,歩兵,砲兵,築造の3科にわたる将校養成を目的として,4ヵ年の資業生科,3ヵ年の本業生科を設け,計7ヵ年の卒業の際は得業生とする制度であった。英語,フランス語,数学,器械学,図学,操練などから,化学,砲術,戦法,軍律などの軍事諸科学を教授するカリキュラムを組んだ。旧江戸幕府の蔵書2万冊余を持ち,とくに数学教育については当時の最高水準を誇った。なお初等課程として1870年付属小学校を設けたが,これは近代的な小学校の先駆として有名である。
執筆者:寺崎 昌男
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報