沼野玄昌(読み)ぬまのげんしょう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「沼野玄昌」の意味・わかりやすい解説

沼野玄昌
ぬまのげんしょう

[生]天保7(1836).3. 江戸
[没]1877.11.21. 安房,横渚(よこすが)
幕末~明治期の医者。旗本萬年佐十郎の次男生れ,母の実家である代々小湊に続いた医家,沼野の養子となる。安政2 (1855) 年から9年8ヵ月,佐倉順天堂で医学を学び,長谷川泰,佐藤進と並んで同門の三羽烏といわれた俊才。 1876年,千葉県庁主催の医学講習会に教材として人骨を使用したが,その骨は墓地から盗掘したものであったために,人体発掘事件として世に騒がれた。翌年,千葉病院の傭医となり,流行の兆しをみせたコレラの検診中に「胆 (きも) 取り」と誤解した漁民に惨殺された。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

菊の節供,九月節供,重九 (ちょうく) ともいう。五節供の一つ。旧暦9月9日の節供で,奈良時代より,宮中では天皇が紫宸殿に出御し,群臣に宴を賜わり詩歌文章をつくらせる菊花の宴が行われ,年中行事となった...

重陽の用語解説を読む