泉ヶ谷
いずみがやつ
現在の浄光明寺のある谷をいい、谷名の名残は同寺の山号「泉谷山」に認められる。天保三年(一八三二)の扇ヶ谷村絵図(大仏家旧蔵)によると、この谷には多宝寺ヶ谷と清水寺ヶ谷とがあった。地名の由来は未詳だが、一説には浄光明寺の門前先にある鎌倉十井の一つ、泉ノ井にちなむという。中世は亀ヶ谷または扇ヶ谷に包含された地名であったと考えられる。
「吾妻鏡」には建長四年(一二五二)五月一九日条に「亀谷泉谷右兵衛督教定朝臣亭」とあり、将軍宗尊親王の方違に泉ヶ谷の二条教定亭が定められ、この亭は幕府の北方にあたるからよいとしている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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