法土寺町(読み)ほうどうじまち

日本歴史地名大系 「法土寺町」の解説

法土寺町
ほうどうじまち

[現在地名]新湊市立町たてまち

放生津ほうじようづ潟から流れ込むうち川が放生津町に入り西方へ曲折する地点の南側に位置し、北は四十物あいもの町、西は紺屋こんや町、南は立町。四十物町からはあずま橋で内川を渡って当町に入り、東方に法土寺町通が延びる(嘉永六年「放生津領分間絵図」新湊市教育委員会蔵)町名は鎌倉期から室町期にかけての放生津を拠点に栄えた時宗報土ほうど寺に由来する。内川に東橋が架けられ、袂には橋番所が設けられたが、のち廃され、妙蓮みようれん寺となった(新湊市史)。放生津八幡宮祭礼時の曳山は天明五年(一七八五)創建とされているが(「曳山開発年限留帳」野村屋旧記)、明和年間(一七六四―七二)にはすでに引かれていたという(新湊市史)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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