聖徳太子を讃仰する宗教講,または大工,左官など建築関係の職人たちが,それぞれ同業者集団として結束をはかるため聖徳太子を守護神として行う職業講をいう。真宗では,親鸞が和国の教主とたたえた聖徳太子の奉賛が盛んで,存覚の太子講式にのっとって行われた。聖徳太子が寺院建築史上大きな存在であったところから,江戸時代には職人ことに大工,左官,鍛冶屋,屋根葺き,桶屋などが工匠の祖として祭るようになり,忌日の2月22日に太子講を行った。今でも関東地方以西では大工など山の材木に関係のある職人たちの間で行われている。太子の画像を掛けた部屋に集まり,飲食しながら賃金協定など仕事上の諸問題を相談する。都市では正月,5月,9月の17日が多く,また太子の忌日にちなんで2月,10月の22日も少なくない。神奈川県相模原市の旧津久井町青根のように,大工,鍛冶屋,桶屋その他の職人が行う日待行事を太子講と称しているところもあり,また山稼ぎの人たちの講になっている例もある。工匠や杣人(そまびと)などの祭日であり,大師講(だいしこう)と区別する。
執筆者:伊藤 唯真+西 和夫
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(1)聖徳太子の忌日に行われる法会。法隆寺では,毎年または別当任中一度,あるいは50年ごとの2月22日(現在は3月22日)の太子講を聖霊会(しょうりょうえ)という。(2)聖徳太子を信仰する信者の団体。鎌倉・室町時代に多くでき,講の集会で読まれる聖徳太子講式が盛んに作られた。鎌倉時代には太子の尊像が造られ,2歳像・孝養太子像が作成された。江戸時代には,木工・木挽が正・5・9月の太子忌日に夜を徹して宴会に興じる太子講が始まった。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…この弘法大師がまた聖徳太子と混同して語り伝えられ炭焼きも太子様を信仰した。 関西以西では木樵,木挽,炭焼きのほかに大工,左官,石屋,桶屋などの職人ももっぱら太子様を信仰し,太子講を組んでまつりをした。これは農村の大師講すなわちダイシコウと区別してタイシコウと呼ばれ,祭日も大師講とちがっているのが普通である。…
…実子がない場合に養子をとることが多いのは,欠員補充を円滑に行うための知恵でもあった。大工組内部の相談は,太子講の席で行うことが多い。大工の祖とされて信仰された聖徳太子の画像を掛け,毎月一定日に集まり,相談をし,また懇親を深めた(太子信仰)。…
… 民間への広まりはこの真宗を通しての流布が論じられているが,とくに鉱山関係や職人などの農耕に従事しない人々の間に広まっていった。現在でも太子講といい,毎月聖徳太子の命日とされる22日に掛軸や像の前で講を開くのは,大工,左官,桶屋などの職人関係の人が多い。とくに年頭にあたる2月22日は,そこでその年の日当や職の割りふりが行われている。…
…商人や職人仲間の集会は,仲間の結束を固めるとともに,各種規定の改変などのために必要であった。とくに,大工,左官,木挽(こびき)など建築関係の職人たちは〈太子講〉という講の組織のもとで,強い結束を保持していた。太子講の寄合は例年正月ないし2月に行われ,各組別に棟梁たちが集まる場合と,各組の棟梁の全員の集会とがあった。…
※「太子講」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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