法多村(読み)はつたむら

日本歴史地名大系 「法多村」の解説

法多村
はつたむら

[現在地名]袋井市豊沢とよさわ

法多山尊永そんえい寺の門前寺領で、江戸時代を通して郷帳類では村名がみえない。法多山領は佐野さや領家りようけ(現掛川市)三五石ほかで二〇五石であったが(尊永寺文書、以下同文書)、ほかに法多・二軒屋にけんやに門前寺領があり、門前百姓には年貢・人足・寺役などの負担があった。庄屋・組頭・百姓代村方三役もあり、文政七年(一八二四)の人別帳では人数男一〇三・女一〇七。明治二年(一八六九)の改帳では、戸数五〇、人数男一〇一・女九二。元禄四年(一六九一)尊永寺の本寺紀州高野山釈迦文しやかもん院より門前百姓宛と正法院・一乗院など惣寺中宛に、地頭(尊永寺)は百姓に憐愍をかけ、百姓は地頭に敬順するよう下知している。

門前百姓は、古くから門前に住んでいる有力百姓であった古門と、新しく入った者や小百姓などの新門とに分れていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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