日本歴史地名大系 「法興寺村」の解説 法興寺村ほつこうじむら 兵庫県:朝来郡和田山町法興寺村[現在地名]和田山町法興寺比治(ひじ)村の北に位置する。村名は名刹法興寺に由来するもので、現在はその跡地に薬師堂が祀られる。慶長年間(一五九六―一六一五)に廃寺となったという(朝来志)。寺領田は鎌倉時代には国衙領。弘安八年(一二八五)の但馬国太田文には、朝来郡国衙領の中に「法興寺 六町四反」とみえ、「地頭佐々木信濃四郎左衛門尉泰義」の注記がある。地頭佐々木泰義は朝来郡西明(さいみよう)寺の地頭を兼ねており、近江源氏佐々木氏の一族であろう。「不出註文之間、任古帳註進之」と記され、寺田の内訳の記載はない。正保(一六四四―四八)頃の国絵図に村名がみえ、高二〇七石余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報