日本歴史地名大系 「法花堂村」の解説 法花堂村ほつけどうむら 新潟県:西蒲原郡吉田町法花堂村[現在地名]吉田町法花堂・東栄(ひがしさかえ)町・日之出(ひので)町・春日(かすが)町北は松岡(まつおか)新田村・野沖(のおき)村古新田、東は大通(おおどおり)川を境に桜町(さくらまち)村・杣木(そまぎ)村(現燕市)に接する。波野五兵衛の開発、慶安二年(一六四九)に大田(おおた)村より分れて法花堂組と称し、長岡藩の検地をうけ、万治年間(一六五八―六一)より法花堂村と改めたという。江戸時代を通して長岡藩領(皇国地誌)。村の成立と周辺の新田開発には願生(がんしよう)寺(真宗大谷派)が大きな役割を果した。元禄郷帳によると大田村の枝郷で、高六〇六石一斗余。宝暦三年(一七五三)の村々明細書上帳(和田家文書)によれば、肝煎一・百姓五九・名子一三。文政一三年(一八三〇)の長岡領分高附録(長岡の歴史)では本与板組に属し、高九〇四石一斗。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by