法通寺庄(読み)ほうつうじのしよう

日本歴史地名大系 「法通寺庄」の解説

法通寺庄
ほうつうじのしよう

生駒山地西麓にあった奈良興福寺の末寺法通寺とその寺領を含む興福寺西金堂領の庄園。法通寺は「山槐記」応保元年(一一六一)九月一七日条の「河内国大江御厨訴事」七ヵ条の第一に「停止法通寺妨、如旧可随進止事」とみえる。このとき内蔵頭平重盛から大江おおえ御厨の上訴を伝達された蔵人頭藤原忠親は、法通寺が同御厨に妨げをなすことについて前関白藤原忠通に申入れ、その命によって妨げを停止すべき旨の蔵人所牒を発している。前関白の力をかりて法通寺の押領を抑えたことからみると、当時すでに同寺は藤原氏の氏寺興福寺の末寺であったのではないかと思われる。乾元元年(一三〇二)一〇月、ときの中納言吉田経長は「法通寺事」で興福寺僧徒の怒りを招き、藤原氏一門から追放される放氏の処分をうけたが、興福寺別当僧正と談合して、これまで経長が法通寺庄から沙汰していたもののほかに、さらに「廿果」(果は上納物の単位)を永く興福寺に譲与することで、放氏の制裁を免れた(「吉続記」同月二〇日・二三日条)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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