泗川の戦い(読み)しせんのたたかい

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「泗川の戦い」の意味・わかりやすい解説

泗川の戦い
しせんのたたかい

慶長の役 (→文禄・慶長の役 ) の際の朝鮮慶尚南道の泗川城における戦い文禄の役のあと,慶長2 (1597) 年,秀吉は再度朝鮮半島への出兵を行い,日本軍は明鮮連合軍に対し,随所で籠城戦を展開したが,いずれも苦戦に陥った。同3年9月末,明将董一元らの率いる 10万の大軍が泗川城にあった島津義弘らを攻めたが,義弘らは 2000の兵をもって,同 10月1日これを撃破した。これを機として明鮮と講和し,撤兵への足掛りとした。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「泗川の戦い」の意味・わかりやすい解説

泗川の戦い
しせんのたたかい

慶長(けいちょう)の役の一戦闘。朝鮮慶尚道(けいしょうどう)泗川城に籠(こも)る島津軍が、明(みん)・朝鮮軍を破った戦いで、日本軍の撤兵を容易にする一因となった。

[編集部]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

旺文社日本史事典 三訂版 「泗川の戦い」の解説

泗川の戦い
しせんのたたかい

1598年,慶長の役における一戦闘
慶長の再征にさいし,明・朝鮮の大軍が日本軍を攻撃したが,慶尚南道の泗川城において島津義弘らが奮戦し,城を守った。この勝利により日本軍の撤兵が容易になった。

出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報

今日のキーワード

激甚災害

地震や風雨などによる著しい災害のうち、被災地域や被災者に助成や財政援助を特に必要とするもの。激甚災害法(1962年成立)に基づいて政令で指定される。全国規模で災害そのものを指定する「激甚災害指定基準に...

激甚災害の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android