日本歴史地名大系 「波止浜塩田」の解説
波止浜塩田
はしはまえんでん
天和三年(一六八三)
当時、塩田築造技術は秘法になっていたため、長谷部九兵衛は対岸の安芸国
その後、貞享四年(一六八七)四軒、元禄四年(一六九一)六軒が築造された。しかし、この四三軒は宝永二年(一七〇五)の分け浜(分割統合)によって三六軒となった。畝数四〇町九反七畝一四歩、高五九一石七斗一升二合である。享保一一年(一七二六)の竹原塩浜覚書(竹原市立図書館蔵)によると、波止浜の塩浜軒数は三六軒で、竹原浜七二軒の半分にすぎないが、生産量は竹原の七―八割と多く、そのうえ運上銀は銀一〇貫目内外で非常に安いことが強調されている(竹原浜の運上銀は四三貫目)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報