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泰緬鉄道 タイメンテツドウ

デジタル大辞泉の解説

たいめん‐てつどう〔‐テツダウ〕【泰緬鉄道】

《「泰」はタイ、「」はビルマのこと》太平洋戦争中、日本軍がインパール作戦の物資輸送のため、タイ・ビルマ間に建設した鉄道。タイ側はクワイ川に沿う。連合国捕虜や現地人が動員され、数万の死者を出し、「死の鉄路」ともよばれた。

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朝日新聞掲載「キーワード」の解説

泰緬鉄道

日本軍が1942年6月から43年10月まで、軍事物資を運ぶためタイとミャンマー(ビルマ)間に建設した全長415キロの鉄道。現地労働者や捕虜延べ数十万人が動員され、過酷な労働環境熱帯病で数万人が亡くなり「死の鉄道」と呼ばれた。

(2013-03-25 朝日新聞 朝刊 大阪市内 1地方)

泰緬鉄道

タイは、第2次世界大戦開戦直後に中立を宣言。1941年、周辺への展開拠点として日本軍が駐留を始めた。陸上輸送路としてタイ(泰)とミャンマー(旧ビルマ、緬甸〈めんでん〉)間の鉄道敷設を計画。43年秋、着工から1年4カ月で全長415キロが完成した。

(2016-11-08 朝日新聞 夕刊 2社会)

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世界大百科事典 第2版の解説

たいめんてつどう【泰緬鉄道】

第2次世界大戦中に日本軍がタイ(泰)―ビルマ(緬甸(めんでん)。ミャンマー)間に建設した軍用鉄道。正式名称は泰緬甸連接鉄道。バンコク西方80kmのノンプラドックとビルマ南部のタンビューザヤッ間414.9kmを結び,ビルマ戦線に展開する日本軍への補給路として構想された。鉄道連隊が建設にあたり,連合軍捕虜やビルマ,マレー,インドネシアなどアジア人労務者が工事に動員された。単線,軌間1mの鉄道は,1942年(昭和17)7月に建設を開始し,わずか1年4ヵ月後の43年10月には開通にこぎつけた。

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大辞林 第三版の解説

たいめんてつどう【泰緬鉄道】

第二次大戦中、1943年、日本軍が建設したビルマ(現ミャンマー)とタイを結ぶ鉄道。タイ側はケオノイ(クワイ)川に沿う。ビルマ側は戦後撤去。建設作業に従った連合軍捕虜と現地人に多くの死者を出した。

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世界大百科事典内の泰緬鉄道の言及

【太平洋戦争】より

…さらに日本軍は,ビルマ,マレーシア,ジャワなどの各地で労働力確保のため,現地住民の強制連行と連合国軍捕虜の強制労働を実施し,鉄道・道路の建設,陣地構築などの重労働に従事させた。そのため多くの犠牲者が出たが,タイとビルマを結ぶ泰緬鉄道工事の場合には,工事に携わった捕虜5万5000名のうち1万3000名,現地労働者約5万名のうち3万3000名が死亡したと言われている。一方東条内閣は,〈大東亜政略指導大綱〉(1943年5月31日御前会議決定)に基づき,ビルマ国(1943年8月1日)とフィリピン共和国(1943年10月14日)を名目的に〈独立〉させ,汪兆銘の中華民国政府とのあいだに日華同盟条約(1943年10月30日)を締結したのち,各傀儡国家の首脳を集め,43年11月5~6日に東京で大東亜会議を開催したが,具体的政策協定もまとまらないままに終わった。…

※「泰緬鉄道」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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