泰緬鉄道(読み)タイメンテツドウ

世界大百科事典 第2版の解説

たいめんてつどう【泰緬鉄道】

第2次世界大戦中に日本軍がタイ(泰)―ビルマ(緬甸(めんでん)。ミャンマー)間に建設した軍用鉄道。正式名称は泰緬甸連接鉄道。バンコク西方80kmのノンプラドックとビルマ南部のタンビューザヤッ間414.9kmを結び,ビルマ戦線に展開する日本軍への補給路として構想された。鉄道連隊が建設にあたり,連合軍捕虜やビルマ,マレー,インドネシアなどアジア人労務者が工事に動員された。単線,軌間1mの鉄道は,1942年(昭和17)7月に建設を開始し,わずか1年4ヵ月後の43年10月には開通にこぎつけた。

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精選版 日本国語大辞典の解説

たいめん‐てつどう ‥テツダウ【泰緬鉄道】

(「泰」はタイ、「緬」はビルマの意) 太平洋戦争中の昭和一七年(一九四二)、日本軍がビルマ(ミャンマー)への物資補給のため、ビルマのタムビザヤとタイのノンブラドック間に建設した鉄道。全長約四一五キロメートル。完成は翌一八年。作業に動員された連合国軍捕虜と現地人労働者の多数が死亡したため、「死の鉄道」と呼ばれた。

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世界大百科事典内の泰緬鉄道の言及

【太平洋戦争】より

…さらに日本軍は,ビルマ,マレーシア,ジャワなどの各地で労働力確保のため,現地住民の強制連行と連合国軍捕虜の強制労働を実施し,鉄道・道路の建設,陣地構築などの重労働に従事させた。そのため多くの犠牲者が出たが,タイとビルマを結ぶ泰緬鉄道工事の場合には,工事に携わった捕虜5万5000名のうち1万3000名,現地労働者約5万名のうち3万3000名が死亡したと言われている。一方東条内閣は,〈大東亜政略指導大綱〉(1943年5月31日御前会議決定)に基づき,ビルマ国(1943年8月1日)とフィリピン共和国(1943年10月14日)を名目的に〈独立〉させ,汪兆銘の中華民国政府とのあいだに日華同盟条約(1943年10月30日)を締結したのち,各傀儡国家の首脳を集め,43年11月5~6日に東京で大東亜会議を開催したが,具体的政策協定もまとまらないままに終わった。…

※「泰緬鉄道」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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