洋務派(読み)ようむは(英語表記)Yang-wu pai

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

洋務派
ようむは
Yang-wu pai

中国の清末に軍事中心の近代化を積極的に推進した曾国藩李鴻章左宗棠らの官僚グループ。その運動を洋務運動と呼ぶ。アヘン戦争太平天国との戦いを通じて,近代兵器および西洋近代文明の摂取の必要性を痛感し,咸豊 10 (1860) ~光緒 20 (94) 年,洋式銃砲,艦船の輸入,外国人教官を招いての陸海軍の訓練,編成とともに,軍事工業育成のため機械工業の導入などを行なった。洋務派の根本思想は「中国学問で身心を修め,西洋の学問 (科学,技術) で世事に応ずべし」という「中体西用」論であり,これによって改良主義的近代化運動と伝統的な中華思想との調整をはかろうとした。一面では中国の近代産業の発達に刺激を与えたが,その経費の多くは釐金,海関税,外国借款などに頼り,民衆からの封建的搾取を基調としたため,中国の半植民地化の条件を整え,官僚資本を生み出した。洋務派の本来の意図は中国に資本主義制度を確立しようとするのではなくて,古い支配機構を温存するために,主として軍事力の近代化をはかろうとしたにすぎなかった。日清戦争の敗北により洋務運動は失敗し,変法派の一時的な台頭を迎えることになった。

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世界大百科事典内の洋務派の言及

【清】より

…1861年(咸豊11)のいわゆる辛酉(しんゆう)政変である。この後,若干の経緯を経て西太后は最高権力者となって清末の政局を壟断(ろうだん)するが,彼女の権力基盤のもっとも重要なものは,太平天国鎮圧に功績のあった曾国藩,李鴻章らの洋務派漢人大官僚である。洋務とは外交,貿易,技術導入等,列強と関係することすべてを包括する概念で,第2次アヘン戦争の後始末として締結された北京条約によりさらに従属度を深めた清朝にとって,もっとも重要な政治行為なのであった。…

※「洋務派」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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