コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

左宗棠 さそうとう Zuo Zong-tang; Tso Tsung-t`ang

6件 の用語解説(左宗棠の意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

左宗棠
さそうとう
Zuo Zong-tang; Tso Tsung-t`ang

[生]嘉慶17(1812)
[没]光緒11(1885)
中国,清末の軍人,政治家。字は季高。諡は文襄。湖南省湘陰県の人。道光 12 (1832) 年に挙人となり,中年まで不遇であったが胡林翼の知遇を得て,咸豊2 (52) 年,太平天国の湖南進出に際し長沙の防衛戦で認められた。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル大辞泉の解説

さ‐そうとう〔‐ソウタウ〕【左宗棠】

[1812~1885]中国、清(しん)末の政治家。字(あざな)は季高。湖南省湘陰の人。曽国藩(そうこくはん)の下で太平天国の乱を平定し、のち福州に近代的造船所を設けて洋務運動を推進した。また、新疆(しんきょう)のイスラム教徒の反乱を鎮圧した。

出典|小学館 この辞書の凡例を見る
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

百科事典マイペディアの解説

左宗棠【さそうとう】

中国,清末の軍人,政治家。湖南省の人。1852年以後太平天国の乱に当たり曾国藩の湘(しょう)軍を指揮し,フランス軍の援助もあって鎮圧した。功により【びん】浙(びんせつ)総督となり,1866年福州馬尾に中国最初の官営造船所(船政局)を設立し洋務運動の先駆となる。
→関連項目捻軍ヤークーブ・ベク

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. ご提供する『百科事典マイペディア』は2010年5月に編集・制作したものです

世界大百科事典 第2版の解説

さそうとう【左宗棠 Zuŏ Zōng táng】

1812‐85
中国,清末の軍人,官僚。字は季高。湖南省湘陰県の人。道光12年(1832)挙人。会試には合格せず郷里で学問をしていた。太平天国の反乱に際し52年(咸豊2)以来,湖南巡撫の幕下で各地の蜂起鎮圧にはたらき注目された。60年曾国藩の推挙で湘軍を率いて太平軍と戦い,翌年浙江巡撫,63年(同治2)閩浙(びんせつ)総督となっておもに浙江省を転戦,杭州を回復し66年までに福建,広東の太平軍残党を制圧した。この間英仏軍の協力をうけ,またフランス人の援助を得て福州の馬尾に造船所(福州船政局)を作り海軍の創設に努め,洋務運動の先駆となった。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

大辞林 第三版の解説

さそうとう【左宗棠】

1812~1885) 中国、清末の政治家。太平天国軍討伐に活躍。福州に近代的造船所を設けて洋務運動を推進。のち、新疆しんきようのイスラム教徒の乱を平定。

出典|三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

左宗棠
さそうとう
(1812―1885)

中国、清(しん)末の政治家。字(あざな)は季高、諡(おくりな)は文襄(ぶんじょう)。湖南省湘陰(しょういん)県の挙人で、太平天国軍に対して団練(だんれん)を組織して功をあげ、のち曽国藩(そうこくはん)の推挙によって浙江巡撫(せっこうじゅんぶ)、ついで(びんせつ)総督となり、楚(そ)軍を率いて福建、浙江を回復した。この経験から近代的な軍備の重要性を認識し、福州に造船所(馬尾船政局)を建設して洋務運動の先駆となった。ついで陝甘(せんかん)総督として捻軍(ねんぐん)ならびにイスラム教徒(回民)軍を鎮圧して協弁大学士に昇り、また蘭州(らんしゅう)に機械制毛織物工場などを創立した。1875年欽差(きんさ)大臣として東トルキスタンのイスラム支配者ヤクブ・ベクの反乱を平定し、77年新疆(しんきょう)省の設置を上奏して承認され、水路の掘削、租税整理、城堡(じょうほ)の建設などを進めて、新疆の開発と確保に貢献。当時イリ地方を占領していたロシアに対して、彼は武力対決を主張したがいれられず、北京(ペキン)に召還された。81年軍機大臣として両江総督兼通商事務大臣に任ぜられたが、清仏戦争に際し、彼が建設した福建の海軍は壊滅し、失意のうちに福州で病死した。著書に『左文襄公全集』がある。[小島晋治]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典内の左宗棠の言及

【回教徒蜂起】より

…ウイグル人ヤークーブ・ベクは,65年に清朝軍を撃ってカシュガルに進入し,ドゥンガンをも圧して西部4城にイスラム政権を樹立し,ロシアはこの機に乗じてイリを占領した。ドゥンガンの反乱は77年(光緒3)までに左宗棠により討滅され,新疆はその後清朝の植民地統治を受けた。また1858年(咸豊8)から72年(同治11)にかけ,貴州省では普安などで金万照らを首領とする蜂起(白旗と自称)が起っている。…

【官営工業】より

…なかでも,同治年間(1862‐74)に開始された武器製造を主な目的とする国営工場が著名。太平天国を鎮圧した勢いを背景に,両江総督曾国藩,江蘇巡撫李鴻章,浙江巡撫左宗棠などの漢人官僚が台頭し,みずからの実力を蓄えるために,各地に軍需工場を設立した。1863年,曾国藩は安慶軍械所を設立し,西洋人技師を雇用せずに火器・小型汽船の製造を開始した。…

【郷勇】より

…郷勇は兵乱終息とともに解散するのが原則であり,曾国藩は1864年(同治3)湘軍を解散したが,淮軍はひきつづき清朝の軍事的支柱として維持され,李鴻章の権勢を保障した。湘軍も左宗棠など湘軍出身の大官僚によって実質上継承されていたが,日清戦争においてまず淮軍が壊滅し,ついで湘軍系も馬脚を現したことによって,非正規の郷勇が正規軍を代行する時期は終わった。しかし袁世凱や段祺瑞が体現するように,淮軍は直接間接にのちの北洋軍閥につながり,湘軍系や各地の郷勇もまた近代中国における大小の地方軍閥の先駆となったのである。…

【洋務運動】より

…洋務の語はそれまで〈夷務〉と称され,清朝と諸外国との関係・交渉の事務いっさいを指していたが,アヘン戦争以降,洋務は,魏源林則徐馮桂芬(ふうけいふん),王韜(おうとう)(1828‐97)によって唱えられるようになり,中学を体(本体)とし西洋を用(作用)とする中体西用論を旨とした欧米の文物の摂取,受容をその内容とする。そして曾国藩,李鴻章,左宗棠(さそうとう)などの有力督撫(総督・巡撫)によって推進された洋務運動は,初期には太平天国対策や辺境防備など軍事力の増強に力が入れられ,やがて教育や実業などの各方面にも及んでいった。 洋務の推進は,まず清朝政府が1861年(咸豊11),北京に総理衙門(そうりがもん)を設立したことに始まる。…

※「左宗棠」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

左宗棠の関連キーワード曽国藩湖南省湘軍湘勇程潜彭徳懐廖平蒼梧譚延闓ミヤオ族(苗族)

今日のキーワード

トランスアジア航空

台湾・台北市に本拠を置く航空会社。中国語名は復興航空。1951年、台湾初の民間航空会社として設立。83年に台湾の国産実業グループに経営移管され、組織改編を実施した。92年に国際チャーター便の運航を始め...

続きを読む

コトバンク for iPhone