改訂新版 世界大百科事典 「津久井竜雄」の意味・わかりやすい解説
津久井竜雄 (つくいたつお)
生没年:1901-89(明治34-平成1)
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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…1925年ころ,社会主義的方向から〈皇室中心の国家主義運動〉へと転じた赤尾は,左翼のメーデーに対抗して,建国祭挙行の必要を各方面に説き,26年2月11日,第1回建国祭を挙行した。と同時に赤尾はそれとは別に建国会を創立した(会長上杉慎吉,顧問頭山満・平沼騏一郎ら,理事長赤尾,書記長津久井竜雄)。その後,赤尾らの反ソ・反共の過激な直接行動への不満から,上杉をはじめ有力者が脱会し,赤尾の個人的団体の色彩を濃くした。…
…【坂野 潤治】(2)昭和期の日本主義団体。1933年日本国家社会党の赤松克麿は日本主義を唱えて同党を排除されたため,大日本生産党を脱した津久井竜雄,倉田百三らと文化運動機関として結成し,《国民運動》を機関誌とした。青年に向けて運動を行ったり,天皇機関説攻撃などを展開したが勢力は弱かった。…
…情報局の指導監督のもとに結成運営されたもので,最初〈大日本思想報国会〉として発起され,のち〈大日本言論報国会〉となり,1942年12月23日に創立された。会長徳富蘇峰(猪一郎),専務理事鹿子木(かのこぎ)員信,理事津久井竜雄ら27名。会員は〈日本評論家協会〉(1940創立,代表者津久井竜雄)を中核に,一般評論家をも糾合し,43年7月現在で総数917名に達していた。…
※「津久井竜雄」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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