津久井竜雄(読み)つくいたつお

改訂新版 世界大百科事典 「津久井竜雄」の意味・わかりやすい解説

津久井竜雄 (つくいたつお)
生没年:1901-89(明治34-平成1)

国家社会主義者。栃木県出身。早稲田大学中退。高畠素之に師事し,1929年建国会を脱退してからは,国家社会主義の立場から大衆的な右翼の単一政党の結成をめざし,急進愛国党や急進愛国労働者総連盟を設立,また31年の全日本愛国者共同闘争協議会の結成にも努力した。33年赤松克麿と国民協会を結成して以後,しだいに日本主義に移行し,議会進出も企てて,37年赤松と日本革新党を設立した。戦後公職追放。51年解除後は,おもに文筆活動を続けた。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「津久井竜雄」の解説

津久井竜雄 つくい-たつお

1901-1989 大正-昭和時代の国家主義者
明治34年2月4日生まれ。高畠素之(もとゆき)の門下。昭和5年以降,急進愛国党,愛国勤労党,国民協会などを結成し,戦時中は大日本言論報国会常務理事。戦後国論社を創立した。平成元年9月9日死去。88歳。栃木県出身。早大中退。著作に「日本国家主義運動史論」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の津久井竜雄の言及

【建国会】より

…1925年ころ,社会主義的方向から〈皇室中心の国家主義運動〉へと転じた赤尾は,左翼のメーデーに対抗して,建国祭挙行の必要を各方面に説き,26年2月11日,第1回建国祭を挙行した。と同時に赤尾はそれとは別に建国会を創立した(会長上杉慎吉,顧問頭山満・平沼騏一郎ら,理事長赤尾,書記長津久井竜雄)。その後,赤尾らの反ソ・反共の過激な直接行動への不満から,上杉をはじめ有力者が脱会し,赤尾の個人的団体の色彩を濃くした。…

【国民協会】より

…【坂野 潤治】(2)昭和期の日本主義団体。1933年日本国家社会党の赤松克麿は日本主義を唱えて同党を排除されたため,大日本生産党を脱した津久井竜雄,倉田百三らと文化運動機関として結成し,《国民運動》を機関誌とした。青年に向けて運動を行ったり,天皇機関説攻撃などを展開したが勢力は弱かった。…

【大日本言論報国会】より

…情報局の指導監督のもとに結成運営されたもので,最初〈大日本思想報国会〉として発起され,のち〈大日本言論報国会〉となり,1942年12月23日に創立された。会長徳富蘇峰(猪一郎),専務理事鹿子木(かのこぎ)員信,理事津久井竜雄ら27名。会員は〈日本評論家協会〉(1940創立,代表者津久井竜雄)を中核に,一般評論家をも糾合し,43年7月現在で総数917名に達していた。…

※「津久井竜雄」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android