国民協会(読み)コクミンキョウカイ

デジタル大辞泉 「国民協会」の意味・読み・例文・類語

こくみん‐きょうかい〔‐ケフクワイ〕【国民協会】

明治25年(1892)西郷従道さいごうつぐみちを会頭に結成された政党。藩閥政治擁護を任とした。同32年解散し、帝国党として再出発

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精選版 日本国語大辞典 「国民協会」の意味・読み・例文・類語

こくみん‐きょうかい‥ケフクヮイ【国民協会】

  1. [ 一 ] 明治中期、藩閥政府の擁護を唱えた政府系の団体。明治二五年(一八九二創立。会頭西郷従道、副会頭品川彌二郎。同三二年帝国党に改編された。
  2. [ 二 ] 昭和期の国家主義団体。昭和八年(一九三三赤松克麿、津久井龍雄、倉田百三らが設立。同一二年、日中戦争勃発を契機として、日本革新党を結成。

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改訂新版 世界大百科事典 「国民協会」の意味・わかりやすい解説

国民協会 (こくみんきょうかい)

(1)1892年,第1次松方正義内閣の下で行われた第2回総選挙で,品川弥二郎内相の選挙干渉に助けられて当選した政府系議員が,内相を辞任した品川を中心に同年6月に結成した保守的政党。軍備の拡充,実業の振興,国権の拡張をかかげる典型的な〈吏党〉であったが,条約改正問題で第2次伊藤博文内閣と対立して与党的地位を失った。日清戦争後藩閥政府が自由党進歩党などの〈民党〉との提携を試みると,藩閥勢力の中でももっとも保守的な山県有朋との結びつきを強めたが,党勢は衰退の一途をたどり,99年7月に解党し,帝国党を結成した。
執筆者:(2)昭和期の日本主義団体。1933年日本国家社会党の赤松克麿は日本主義を唱えて同党を排除されたため,大日本生産党を脱した津久井竜雄,倉田百三らと文化運動機関として結成し,《国民運動》を機関誌とした。青年に向けて運動を行ったり,天皇機関説攻撃などを展開したが勢力は弱かった。37年日中戦争勃発を契機に,小池四郎の愛国政治同盟,下中弥三郎らの新日本国民同盟などと日本革新党を結成し,日本主義勢力の結集を図った。

(3)自由民主党政治献金機関。1955年1月に設立された経済再建懇談会(代表大屋敦)は企業献金への世論非難で61年3月に解散,7月これに代わるものとして自民党財政委員会は基金500万円の財団法人として国民協会(会長岩田宙造)を設立した。当初,広く国民各階層から募金するとしていたが,その内実は企業献金がほとんどだったため,74年の参議院選挙では金権選挙との世論の指弾を受けた。74年8月の東京電力の献金中止,国民協会脱退を契機に,75年1月個人会員の増大,献金対象の拡張,環境・エネルギー・福祉問題などにもとりくむとして,国民政治協会(会長前田義徳)に改組された。しかし同年7月の政治資金規正法改正の結果,前田はその構想と違って,同会が自民党だけに献金することになったことに不満を表明し辞退,代わって江口見登留元警視総監が会長になり,同時に,同会は自民党の政治資金団体に指定された。
政治資金
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「国民協会」の意味・わかりやすい解説

国民協会
こくみんきょうかい

(1)明治時代中期の国家主義政党。1892年(明治25)2月の松方正義(まつかたまさよし)内閣の下での第2回総選挙で、政府が積極的に支援して当選させた代議士らよりなる中央交渉部が母胎となり、同年6月22日結成された。西郷従道(さいごうつぐみち)を会頭、前内相品川弥二郎(やじろう)を副会頭とし、佐々友房(さっさともふさ)、大岡育造(いくぞう)らが幹部となり、軍備充実、国権拡張、実業振興などを綱領に掲げ、藩閥政府の与党として民党に対立した。ところが、続く第二次伊藤博文(ひろぶみ)内閣が自由党に接近すると野党色を強め、政府が推進しようとする条約改正交渉に反対する対外硬六派の中心勢力として政府を攻撃した。日清(にっしん)戦争後、歴代藩閥政府が公然と自由党、進歩党などと提携するに至って藩閥政府系の政党としての存在意義を失い、山県有朋(やまがたありとも)系官僚派の政党としての色彩を強めた。創立当初70名を擁した議員は選挙ごとに減少、98年8月には21名となり、99年品川の枢密院入りで支柱を失い、同年7月4日解散し、翌日帝国党に改組した。

(2)昭和時代の国家主義団体。1933年(昭和8)日本国家社会党から分裂した赤松克麿(かつまろ)と大日本生産党を除名された津久井竜雄(たつお)に、倉田百三(ひゃくぞう)が加わって、8月、日本精神の国民的浸透を推進する文化団体を標榜(ひょうぼう)して結成した。『国民運動』を機関誌とし、青年日本同盟をその行動隊として、天皇機関説攻撃や選挙粛正運動などを展開したが、その勢力は弱かった。37年7月日中戦争の勃発(ぼっぱつ)を機に国家主義団体結集の動きが急進展して、新日本国民同盟などと合同して同月18日日本革新党を結成した。

(3)自由民主党への政治献金のための機関。1961年(昭和36)7月、岩田宙造(ちゅうぞう)を会長に財団法人として発足。財界を中心に政治献金を受けて選挙活動を中心に党活動の財源としてきたが、74年の参院選挙で金権選挙の批判を受け、続く石油ショックによる景気後退などによって再編成を迫られ、75年1月国民政治協会に改組された。

[宇野俊一]

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百科事典マイペディア 「国民協会」の意味・わかりやすい解説

国民協会【こくみんきょうかい】

(1)明治時代の政治団体。第2回総選挙で品川弥二郎内相の選挙干渉で当選した曾禰荒助,佐々友房ら政府系衆議院議員70余名が1892年に創立。その後会長に西郷従道,副会長に内相を辞した品川弥二郎を戴き,藩閥政府擁護を旗印とした。1899年に解散し,帝国党として再出発。(2)昭和の文化運動団体。1933年設立。赤松克麿,津久井竜雄らが中心となり日本主義を唱える。機関誌《国民運動》。1937年新日本国民同盟などとともに日本革新党を結成。(3)自由民主党の政治資金調達機関。1961年設立。当初は広く国民各層から募金するとしていたが,実際には企業献金がほとんどで,1975年の政治資金規正法改正で自民党の政治資金団体に指定された。
→関連項目東洋自由党元田肇

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「国民協会」の解説

国民協会
こくみんきょうかい

明治中期の政党。1892年(明治25)6月,中央交渉部を改組して成立。会頭は薩派の元勲西郷従道(つぐみち),副会頭品川弥二郎。国権拡張・実業振興・軍備充実などを政綱とし,民党の対抗勢力を標榜。佐々友房(さっさともふさ)・大岡育造・元田肇(はじめ)らを擁し,第4議会開会時(1892~93)には所属議員70人を数えた。第2次伊藤内閣と自由党との接近にともない改進党などとともに対外硬派を形成し,伊藤内閣および自由党に対抗。94年3月の第3回総選挙に惨敗し,以後党勢は振わなかった。日清戦後には第2次伊藤内閣に接近し,第3次伊藤内閣下の第12議会では唯一地租増徴案に賛成。第2次山県内閣下の99年7月に解散,帝国党に改組。品川も引退した。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「国民協会」の意味・わかりやすい解説

国民協会
こくみんきょうかい

1961年7月に設立された自由民主党の政治資金調達機関。戦後の相次ぐ疑獄事件ののち,55年「自由主義経済を守るため保守政党にクリーンな政治資金を」との当時の植村経団連副会長の提案で設立された経済再建懇談会を廃止し,広く国民各層から政治資金を集める趣旨で発足したが,結局各業界代表団体に割当て集金する機関となった。 65年協会を改組し,広い国民基盤に立つとともに自民党以外の政党のためにも資金を集める「前田構想」が出たが,これも挫折し,結局 65年8月,自民党だけの政治資金団体として国民政治協会が再発足。

国民協会
こくみんきょうかい

日本の政党。 1892年6月 22日,西郷従道を会頭,品川弥二郎を副会頭とする山県有朋系の保守主義者によって結成された国家主義政党。日清戦争を前に軍備強化,製鉄所の建設など,戦備の充実を綱領とし,いわゆる「対外硬派」の主勢力であった。 99年に帝国党となった。

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旺文社日本史事典 三訂版 「国民協会」の解説

国民協会
こくみんきょうかい

明治中期の政党(1892〜99)
1892年6月創立。会長に西郷従道,副会長品川弥二郎。藩閥政府擁護を唱える。'99年7月帝国党に合流した。

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世界大百科事典(旧版)内の国民協会の言及

【津久井竜雄】より

…高畠素之に師事し,1929年建国会を脱退してからは,国家社会主義の立場から大衆的な右翼の単一政党の結成をめざし,急進愛国党や急進愛国労働者総連盟を設立,また31年の全日本愛国者共同闘争協議会の結成にも努力した。33年赤松克麿と国民協会を結成して以後,しだいに日本主義に移行し,議会進出も企てて,37年赤松と日本革新党を設立した。戦後公職追放。…

※「国民協会」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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