津守通(読み)つもりのとおる

朝日日本歴史人物事典 「津守通」の解説

津守通

生年生没年不詳
奈良時代の著名な陰陽家。名は道とも書く。天武朝に大津皇子石川郎女密通占いによって露見せしめたことで著名である。和銅7(714)年正七位上から従五位下に昇り,美作守に任じられた。養老5(721)年には陰陽方面で賞賜された6人のうち第2番目に挙げられており,また『家伝』下では陰陽の筆頭に掲げられている。7年に従五位上に進むが,以後の消息は明らかでない。

(橋本義則)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「津守通」の解説

津守通 つもりの-とおる

?-? 飛鳥(あすか)-奈良時代の陰陽師(おんようじ)。
養老5年(721)陰陽の師範として賞賜され,神亀(じんき)のころ陰陽師の筆頭であったという。大津皇子(おおつのみこ)がひそかに石川郎女(いらつめ)と通じたとき,これを占いであてたという。そのことをよんだ皇子の歌が「万葉集」にある。名は道ともかく。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例