津田玄仙(読み)つだ・げんせん

朝日日本歴史人物事典 「津田玄仙」の解説

津田玄仙

没年:文化6.12.21(1810.1.26)
生年:元文2(1737)
江戸後期の医者。名は兼詮,号は積山。父玄琳は白河藩の侍医だったが,わけあって職を辞し,陸奥国岩代(福島県)桑折村で玄仙をもうけた。父から医を学び,水戸の芦田松意に師事したのち,諸国を遍歴し,京都で饗庭道庵の塾に入って,当時「後世派」と呼ばれていた医学を学んで大成した。江戸で開業したのち,上総国(千葉県)の馬籠の医家,田村家に入り,田村玄仙を名乗る。東国名医として広く知られ,原南陽,和田東郭,恵美三白ら広く日本各地の名医と交流して学を磨きあった。著書に『療治茶談』『勧学治体』など。師業を筆録した『饗庭家口訣』も重要。<参考文献>安井広迪「『近世漢方治験選集』8巻解説」

(石田秀実)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「津田玄仙」の解説

津田玄仙 つだ-げんせん

1737-1810* 江戸時代中期-後期の医師
元文2年生まれ。水戸,京都でまなび,江戸で開業する。のち上総(かずさ)馬籠(まごめ)(千葉県木更津市)の田村家のあとをつぎ同地で開業した。文化6年12月21日死去。73歳。陸奥(むつ)伊達郡(福島県)出身。名は兼詮。号は積山。著作に「療治茶談」「勧学治体」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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