朝日日本歴史人物事典 「津田玄仙」の解説
津田玄仙
生年:元文2(1737)
江戸後期の医者。名は兼詮,号は積山。父玄琳は白河藩の侍医だったが,わけあって職を辞し,陸奥国岩代(福島県)桑折村で玄仙をもうけた。父から医を学び,水戸の芦田松意に師事したのち,諸国を遍歴し,京都で饗庭道庵の塾に入って,当時「後世派」と呼ばれていた医学を学んで大成した。江戸で開業したのち,上総国(千葉県)の馬籠の医家,田村家に入り,田村玄仙を名乗る。東国の名医として広く知られ,原南陽,和田東郭,恵美三白ら広く日本各地の名医と交流して学を磨きあった。著書に『療治茶談』『勧学治体』など。師業を筆録した『饗庭家口訣』も重要。<参考文献>安井広迪「『近世漢方治験選集』8巻解説」
(石田秀実)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報