日本大百科全書(ニッポニカ) 「浄影寺」の意味・わかりやすい解説
浄影寺
じょうようじ
中国、隋唐(ずいとう)時代に長安(西安)にあった仏教寺院。隋の文帝が仏教復興の手始めとして大興善寺を建立し、200余人の学僧を収容しようとしたが、収容することができなくなったため、別に長安・敦化坊(とんかぼう)に一寺を建立したのが浄影寺である。地論宗南道派の慧遠(えおん)が当寺に住して名声をあげ、以後、浄影寺は涅槃(ねはん)学派や地論学派の学僧の住するところとなった。慧遠の門下の霊璨(れいさん)および善冑(ぜんちゅう)は勅命によって涅槃衆主となり、この寺に住した。のち746年(天宝5)には不空(ふくう)三蔵が師子(しし)国(スリランカ)より帰国するに及び、勅命により当寺に住し、翻訳に従事するとともに灌頂壇(かんじょうだん)を開いた。その後の寺の沿革は不明で、ついに廃絶した。なお、浄影寺を有名にした慧遠は浄影寺慧遠とよばれる。
[鎌田茂雄]