日本歴史地名大系 「浅草御米蔵跡」の解説 浅草御米蔵跡あさくさおこめぐらあと 東京都:台東区旧浅草区地区浅草御蔵前片町浅草御米蔵跡[現在地名]台東区蔵前一―二丁目・柳橋(やなぎばし)二丁目浅草橋の北方、大川(隅田川)西側に置かれた江戸幕府の米蔵。浅草御蔵ともよばれ、大坂・京都二条の米蔵と合せ三御蔵と総称された。元和六年(一六二〇)鳥越(とりごえ)明神のあった小丘を切崩し、浅草橋から北へ延びる大路(日光道中)の東側の大川沿いを埋立て造成された。設計は町年寄樽屋藤左衛門が担当。川沿い三四四間の間に船入堀八本が設けられ、北から南へ一番堀から八番堀までが並び、四番堀と五番堀の間の川に面した個所には名松とされる首尾(しゆび)の松があった。御米蔵地の北・西・南も入堀で囲まれ、北から上・中・下の門三ヵ所が置かれた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by