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浅草文庫 あさくさぶんこ

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

浅草文庫
あさくさぶんこ

江戸浅草に明暦1 (1655) 年将軍家侍医板垣卜斎が設けた図書館。そのほかに木村重助,堀田正盛が設けた私立の同名の文庫もある。また 1874年,文部省所管の旧幕府昌平坂書籍館を浅草に移し内務省が管理した図書館も当初同じ名をもち,その蔵書は,東京書籍館 (しょじゃくかん) に引継がれ,いまでは国立国会図書館国立公文書館などに伝わる。

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出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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デジタル大辞泉の解説

あさくさ‐ぶんこ【浅草文庫】

明治8年(1875)に浅草蔵前に設けられた官立の公開図書館。昌平坂学問所和学講談所などの蔵書約11万冊を受け継いだもので、現在、その大部分は国立公文書館内閣文庫に保存。
江戸時代、浅草に居住した医師板坂卜斎、大名堀田正盛、御家人木村重助らの私設文庫。また、明治・大正の学者大槻如電(おおつきじょでん)が設けた文庫。

出典|小学館
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百科事典マイペディアの解説

浅草文庫【あさくさぶんこ】

紀州和歌山藩主徳川頼宣の医官板坂卜斎(ぼくさい)が寛永年間(1624年―1644年)に江戸浅草に設けた私文庫。一般に公開したことで著名。明暦3年(1657年)の江戸大火災で焼失。
→関連項目正倉院文書

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大辞林 第三版の解説

あさくさぶんこ【浅草文庫】

寛永年間(1624~1644)、紀州侯の藩医板坂卜斎(1578~1655)が浅草の邸内に作った文庫。
江戸初期、佐倉藩主堀田正盛(1608~1651)が浅草に作った文庫。
1874年(明治7)、浅草蔵屋敷跡に開設された官立の文庫。文部省の東京書籍館の蔵書が移されたもの。84年太政官文庫に、現在は内閣文庫に移管されている。

出典|三省堂
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

浅草文庫
あさくさぶんこ

1875年(明治8)から1881年までの7年間、東京・浅草蔵前(くらまえ)に設けられた官立の公開図書館。江戸幕府の昌平坂(しょうへいざか)学問所、和学講談所などの蔵書を受け継いだもので、和漢の古書約11万冊を所蔵し、学術研究者によく利用された。その蔵書の大部分はいま国立公文書館に保存されている。そのほか、江戸時代に浅草に居住していた医師板坂卜斎(ぼくさい)、大名堀田正盛(ほったまさもり)、御家人(ごけにん)木村重助らは、それぞれの蔵書を浅草文庫と称したと伝え、また、明治・大正の学者大槻如電(おおつきじょでん)もその蔵書印にこの文庫名を用いた。[福井 保]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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世界大百科事典内の浅草文庫の言及

【図書館】より

…後者には江戸の長門屋,名古屋の大惣などが知られており,いわば今日の公共図書館と学術図書館を兼ねるだけの蔵書をもっていた。なお民間の文庫としては,2世板坂卜斎の浅草文庫,仙台藩士青柳文蔵の青柳文庫などが名高い。
[近代以降]
 福沢諭吉は《西洋事情》で,西洋諸国の図書館,すなわち彼の表現によれば〈ビブリオテーキ〉の存在を紹介し,これが万人の利用に供されているさまに感服した。…

【文庫】より

…そのほか近世には水戸の彰考館文庫,加賀前田氏の尊経閣文庫,近衛家の陽明文庫など,大名や藩による文庫のほか,篤学者による文庫,たとえば堀河塾の古義堂文庫,屋代弘賢の不忍(しのばず)文庫などもふえた。これらは上層階級向けの閉鎖的なものだったが,医師板坂卜斎の浅草文庫は,庶民に開放されたものとして特筆さるべきである。近代では,南葵(なんき)文庫,蓬左(ほうさ)文庫,松廼舎(まつのや)文庫,静嘉堂文庫,東洋文庫などが著名。…

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