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浅野吉長(読み)あさの よしなが

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

浅野吉長 あさの-よしなが

1681-1752 江戸時代中期の大名。
延宝9年7月1日生まれ。浅野綱長の長男。宝永5年父の跡をつぎ,安芸(あき)広島藩主浅野家5代となる。家老を執政からはずし,みずから藩政改革を主導。講学館を設置して文武を奨励し,広島藩中興の藩主といわれる。代官制を廃止して郡役所をもうけるなど農村支配の強化をはかるが,享保(きょうほう)3年大一揆(いっき)がおこり,失敗した。宝暦2年1月13日死去。72歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典の解説

浅野吉長 (あさのよしなが)

生年月日:1681年7月1日
江戸時代中期の大名
1752年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典内の浅野吉長の言及

【安芸国】より

…旧国名。芸州。現在の広島県西半部。
【古代】
 山陽道に属する上国(《延喜式》)。7世紀中ごろまでこの地域は阿岐国造の勢力下にあったが,律令体制が整備されると安芸国がつくられ,698年(文武2)には安芸国という国名がみえる(《続日本紀》)。国府は,9世紀後期ごろには安芸郡にあったといい,現安芸郡府中町に所在したことがわかるが,律令制当初から安芸郡にあったのか,それとも国分寺・国分尼寺の遺跡がある賀茂郡の西条盆地にあったのかは,結論が出ていない。…

【広島藩】より

…安芸国(広島県)広島に居城した外様大藩。毛利輝元が1589年(天正17)太田川河口デルタの地を広島と命名して築城に着手,翌々年吉田郡山城からここに移り,中国地方9ヵ国にまたがる大領国を支配する拠点と定めたのがその起りである。関ヶ原の戦後,毛利氏が周防,長門2国に削封されて去ったあと,広島城に入ったのは安芸,備後両国を領した福島正則である。福島氏は1601年(慶長6)検地を行い,さらに新開造成も加わり,毛利時代には両国で40万石余であったのが52万石余に増加し,17年(元和3)将軍徳川秀忠の朱印状では49万8000余石とある。…

※「浅野吉長」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報

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