浅野研真(読み)アサノ ケンシン

20世紀日本人名事典 「浅野研真」の解説

浅野 研真
アサノ ケンシン

昭和期の教育運動家,仏教



生年
明治31(1898)年7月25日

没年
昭和14(1939)年7月7日

出生地
愛知県

学歴〔年〕
日大

経歴
中学卒業後、京都の大徳寺修業僧となり、のちに函館刑務所教誨師となるが、退職して日大に進む。卒業後、日大の社会学研究室助手のかたわら、大正14年東京労働学校を開設、教頭主任となった。昭和3年文部省留学生として渡仏。日本の教育運動を国際的な教育労働者組織エドキンテルンと結びつけた。5年新興教育研究所創立に参加、中央委員となりプロレタリア教育の理論化に尽力した。7年浄土真宗の教化事業に従事友松円諦の仏教法政経済研究所の活動に参加した。全日本仏教青年同盟主事、日華仏教協会理事を歴任著書に「プロレタリア教育の諸問題」「仏教社会学研究」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「浅野研真」の解説

浅野研真 あさの-けんしん

1898-1939 昭和時代前期の教育運動家,仏教学者。
明治31年7月25日生まれ。生家は真宗大谷派の寺。フランスに留学後,昭和5年新興教育研究所の創立に参加,プロレタリア教育運動を推進した。7年友松円諦(えんたい)らと仏教法政経済研究所を設立,仏教の社会史的研究に専念した。昭和14年7月7/10日死去。42歳。愛知県出身。日大卒。著作に「社会現象としての宗教」「日本仏教社会事業史」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「浅野研真」の解説

浅野 研真 (あさの けんしん)

生年月日:1898年7月25日
昭和時代の教育運動家;浄土真宗大谷派僧侶
1939年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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