プロレタリア教育運動(読み)ぷろれたりあきょういくうんどう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「プロレタリア教育運動」の意味・わかりやすい解説

プロレタリア教育運動
ぷろれたりあきょういくうんどう

労働者階級の解放運動に参加していこうとする教育運動。新興教育運動にほぼ同義。1920年代から30年代にかけて、国際共産主義運動の発展に伴い、世界的規模で展開された。日本では、大正末期のソビエト教育事情の紹介・研究、「プロレット・カルト」論の紹介などを前史として、昭和初年のプロレタリア文化運動、労農運動全盛のなかに実践的に芽生えた。大正中・末期以来の各地の教員サークル運動のうち、28年(昭和3)9月に東京の教員、教育ジャーナリストを中心に結成された教育文芸家協会はその先駆である。これは幾度かの組織変更ののち、30年11月日本教育労働者組合(教労)へと脱皮、全国各地の左派系教員サークルを支部として傘下に組み込んだ。「反動教育下のプロレタリア貧農児童の物質的、精神的生活を守り、日常学校生活の改善を計ると共に、資本家地主教育の撲滅とプロレタリア教育の建設」(渡辺良雄「日本に於(お)ける教育労働者組合運動に就いての一考察」、『新興教育』30年11月号所収)がその目的。教労は早くから日本労働組合全国協議会(全協、プロフィンテルン加盟)と接触し、31年5月その日本一般使用人組合教育労働部へと編入された。教労は非合法を余儀なくされたが、その活動と密接にかかわり、合法面での理論活動を支えたのが、30年8月設立の新興教育研究所(新教)である。新教はブルジョア教育の批判排撃、プロレタリア教育の研究・建設・宣伝を任務に理論活動を行い、講演会、講習会の開催、出版活動などを実施した。教労、新教の活動はプロレタリア教育運動の主たる内容をつくりだし、ここにつながる教員の活動は教育労働運動、文化運動、教育実践運動など多岐にわたった。しかし、政府の弾圧内部の理論対立で活動は先細りとなり、33年末には実質的に解体。その理論的影響は戦後初期の教育運動、教育労働運動にも及んだ。なお、全国農民組合(全農)や全国水平社(全水)などの労農少年団ピオニール)運動も広義のプロレタリア教育運動に含まれる。

[尾崎ムゲン]

『池田種生著『プロレタリア教育の足跡』(1972・新樹出版)』『柿沼肇著『新興教育運動の研究』(1981・ミネルヴァ書房)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

今日のキーワード

お手玉

世界各地で古くから行われている遊戯の一つ。日本では,小豆,米,じゅず玉などを小袋に詰め,5~7個の袋を組として,これらを連続して空中に投げ上げ,落さないように両手または片手で取りさばき,投げ玉の数や継...

お手玉の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android