コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

浅野重晟 あさの しげあきら

2件 の用語解説(浅野重晟の意味・用語解説を検索)

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

浅野重晟 あさの-しげあきら

1743-1814* 江戸時代中期-後期の大名。
寛保(かんぽう)3年10月17日生まれ。浅野宗恒(むねつね)の長男。宝暦13年父の跡をつぎ,安芸(あき)広島藩主浅野家7代となる。藩財政の立て直しのため,みずから倹約につとめる。社倉法による救荒策,絹・油などの国産振興策をすすめた。また頼春水(らい-しゅんすい)らをもちいて学問所をひらいた。文化10年閏(うるう)11月13日死去。71歳。

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

浅野重晟

没年:文化10(1813)
生年:寛保3(1743)
安芸国(広島県)広島藩浅野家9代藩主。当時藩財政が極度に窮乏していたので,徹底した藩治機構の簡素化を進め,厳しい倹約令を繰り返した。一方,当時いくつかの村で試みられていた救荒のための社倉法に注目し,元麦を与えるなどしてこれを督励したので,明和7(1770)年には藩領域全村に普及するに至った。また自身好学でもあったが,天明2(1782)年藩学問所を設け,教育の振興をはかった。同5年江戸幕府に先立って学問所の講義を朱子学に統一。さらに晩年におよび,他国商船の誘致をはかり,また藩営の絹座,製油工場を設けるなど,積極的な経済策の現れたことも注目される。<参考文献>沢三石『竹館遺事』,『新修広島市史』1巻

(後藤陽一)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

浅野重晟の関連キーワード浅野慶熾浅野綱晟浅野長厚浅野長員浅野長賢浅野長訓浅野長寔浅野長経浅野長照浅野光晟

今日のキーワード

トランスアジア航空

台湾・台北市に本拠を置く航空会社。中国語名は復興航空。1951年、台湾初の民間航空会社として設立。83年に台湾の国産実業グループに経営移管され、組織改編を実施した。92年に国際チャーター便の運航を始め...

続きを読む

コトバンク for iPhone