朝日日本歴史人物事典 「浅野重晟」の解説
浅野重晟
生年:寛保3(1743)
安芸国(広島県)広島藩浅野家9代藩主。当時藩財政が極度に窮乏していたので,徹底した藩治機構の簡素化を進め,厳しい倹約令を繰り返した。一方,当時いくつかの村で試みられていた救荒のための社倉法に注目し,元麦を与えるなどしてこれを督励したので,明和7(1770)年には藩領域全村に普及するに至った。また自身好学でもあったが,天明2(1782)年藩学問所を設け,教育の振興をはかった。同5年江戸幕府に先立って学問所の講義を朱子学に統一。さらに晩年におよび,他国商船の誘致をはかり,また藩営の絹座,製油工場を設けるなど,積極的な経済策の現れたことも注目される。<参考文献>沢三石『竹館遺事』,『新修広島市史』1巻
(後藤陽一)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報