浅野重晟(読み)あさの・しげあきら

朝日日本歴史人物事典 「浅野重晟」の解説

浅野重晟

没年:文化10(1813)
生年寛保3(1743)
安芸国(広島県)広島藩浅野家9代藩主。当時藩財政が極度に窮乏していたので,徹底した藩治機構の簡素化を進め,厳しい倹約令を繰り返した。一方,当時いくつかの村で試みられていた救荒のための社倉法に注目し,元麦を与えるなどしてこれを督励したので,明和7(1770)年には藩領域全村に普及するに至った。また自身好学でもあったが,天明2(1782)年藩学問所を設け,教育の振興をはかった。同5年江戸幕府に先立って学問所の講義を朱子学に統一。さらに晩年におよび,他国商船の誘致をはかり,また藩営の絹座,製油工場を設けるなど,積極的な経済策の現れたことも注目される。<参考文献>沢三石『竹館遺事』,『新修広島市史』1巻

(後藤陽一)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「浅野重晟」の解説

浅野重晟 あさの-しげあきら

1743-1814* 江戸時代中期-後期大名
寛保(かんぽう)3年10月17日生まれ。浅野宗恒(むねつね)の長男。宝暦13年父の跡をつぎ,安芸(あき)広島藩主浅野家7代となる。藩財政の立て直しのため,みずから倹約につとめる。社倉法による救荒策,絹・油などの国産振興策をすすめた。また頼春水(らい-しゅんすい)らをもちいて学問所をひらいた。文化10年閏(うるう)11月13日死去。71歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「浅野重晟」の解説

浅野重晟 (あさのしげあきら)

生年月日:1743年10月17日
江戸時代中期;後期の大名
1813年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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