江戸後期の儒者。安芸(あき)(広島県)の人。名は惟寛(ただひろ)、字(あざな)は千秋(せんしゅう)、通称は弥太郎、号を春水という。山陽の父、杏坪(きょうへい)の兄にあたる。大坂に出て片山北海(1723―1790)に学び、北海の主宰した混沌(こんとん)社(詩社)に加わって頭角を現し、家塾を開いたが、のち広島藩の儒官となった。厳格な朱子学者で、藩学を朱子学に統一して寛政(かんせい)異学の禁(1790)の先駆けとなり、昌平黌(しょうへいこう)の講師にもなった。江戸出仕中、松平定信(まつだいらさだのぶ)の知遇を得た。著書に『春水遺稿』(1828)などがある。
[石毛 忠 2016年7月19日]
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江戸後期の儒者,漢詩人。頼山陽の父。名は惟寛,字は千秋,通称は弥太郎。安芸の人。1766年(明和3)大坂に上り,片山北海の漢詩結社混沌(こんとん)社の一員として活動した。81年(天明1)広島藩に儒官として召し抱えられ,広島にもどった。儒学は朱子学を奉じ,後に幕府儒官の柴野栗山や尾藤二洲などが寛政異学の禁を推進したときは,青年時から彼らと知合いだった春水も大いに協力した。その詩文は《春水遺稿》にまとめられている。妻の静子(頼梅颸(ばいし))も和歌や書をよくし,日記を残している。
執筆者:日野 竜夫
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1746.6.30~1816.2.19
江戸後期の儒学者。安芸国の豪商の子。頼山陽の父。名は惟寛(ただひろ)・惟完,字は千秋,通称は弥太郎。春水は号。儒学を平賀晋民に学び,片山北海の混沌詩社で詩名をあげる。大坂江戸堀に開塾。朱子学を奉じ,1781年(天明元)広島藩儒となってからは藩学の朱子学での統一をはかり,柴野栗山・西山拙斎らとともに幕府の教学統制(寛政異学の禁)に熱意を示した。著書「春水遺稿」「春水遺響」のほか,「芸備孝義伝」を編纂。
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…別号三十六峰外史。朱子学者頼春水の長男として大坂に生まれ,1781年(天明1)春水の広島藩儒登用後,しばらくして広島に移居。叔父杏坪(きようへい)の指導で素読を始め,9歳で学問所に入学,早くより詩文に才をあらわした。…
※「頼春水」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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