浜川村(読み)はまがわむら

日本歴史地名大系 「浜川村」の解説

浜川村
はまがわむら

[現在地名]高崎市浜川町

井野いの川が東南方向に流路を変える右岸にある。北は下柴しもしば(現群馬郡箕郷町)保渡田ほどた(現同郡群馬町)、南は井野川の支流十二早じゆうにはや(現早瀬川)をもって上小鳥かみことり村と対し、西は北新波きたあらなみ村・行力ぎようりき村。応安二年(一三六九)七月二五日付大八木兵部阿闍梨等願文(熊野本宮大社文書)に「長野寺内」がみえる。当地の字名にてらうちがあり、刑部房井範の居住地として同七年一二月三〇日付兵部房重盛引檀那願文(同文書)にみえる「長野郷内寺内」とともに当地にあたる。また石川県鳳至ふげし穴水あなみず木原きはら白山神社所蔵の鰐口(応永二九年在銘)に「上野州長野郷内浜河村薬王山医音寺」とある。連歌師柴屋軒宗長が永正六年(一五〇九)関東各地を巡った「東路の津登」九月の記事に、「はま河と云所に松田加賀守法体して宗繁、この十年あまりこのかたいひかはし侍り、八九年のさきのとし、宗祇此道に相伴ひしに、信濃路より例ならざりしに、此宿所にて廿日あまり逗留、(異本には「今謝し」)懇切のみ忘がたきことなるべし、一両日有て重陽興行」とあり、続いて九月二五日からの上杉顕定佳例の法楽連歌についての記述のなかに「はま川並松別当」がみえ、「此別当、俗長野、姓石上也」と説明される。


浜川村
はまがーむら

[現在地名]北谷町浜川はまがわ下勢頭しもせいど伊平いへい

平安山はんざん村から西海道(現国道五八号)を挟んで西の沖積低地(浜川千原)に位置し、西は東シナ海に面する。北の琉球石灰岩台地に平安山ヌ上はんざんぬういー喜友名小ちゆんなーぐわー下勢頭しちやしーどうの屋取集落がある。「琉球国由来記」に浜川村とみえる。文姓江冽家家譜の四世孝良の康熙一三年(一六七四)の項には一月北谷ちやたん間切西平安山地頭職に任じられ、二月浜川に改名とある。嘉慶六年(一八〇一)には崎山さちやま(現那覇市)宇栄原里之子親雲上の請地一六石余、同一四年には久米村くにんだ(現同上)小渡里之子親雲上の請地五斗余、道光六年(一八二六)には崎山村喜久川里之子親雲上・大鈍川うどうにがー(現同上)与儀筑登之親雲上の当村と野国ぬぐん(現嘉手納町)内の請地などが上納未進で取上げられている(琉球産業制度資料)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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