…守護は不明。1335年(建武2)12月に始まる南北朝内乱の過程では,翌年正月,土佐浦戸城で北党の津野,三宮,曾我の諸氏が南党と戦っており,以後,香美(かみ)郡深淵城,土佐郡一宮,また大高坂(おおだかさ)城,安楽寺城,さらに高岡郡丸山・神崎城と攻防戦が繰りひろげられる。しかし,この年の10月に京都では南北朝一時の和議が整ったことによるのか,土佐もおおむね静謐で,その後3年,1339年(延元4∥暦応2)の暮れから翌年正月にかけて,再び大高坂城攻防戦が行われ,激戦ののち,城は陥落する。…
※「浦戸城」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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