日本歴史地名大系 「浦添グスク」の解説
浦添グスク
うらそえぐすく
一三―一七世紀の大型グスクで、琉球国中山の初期王城跡。浦添城跡として国指定史跡。浦添市を東西に走る石灰岩丘陵の最高地点、標高一四〇メートルに築城されている。第二次世界大戦前から高麗系瓦が大量に出土することで知られていたが、伊波普猷や東恩納寛惇の研究以後、首里城に中山王城が移る以前の英祖王統や察度王統の王城で、武寧王代の一四〇六年に尚巴志によって滅ぼされたと考えられるようになった。「海東諸国紀」所載の琉球国之図に「浦傍城」とある。「球陽」尚真王四八年(一五二四)条によると、尚真王の長子尚維衡が嘉靖三年(一五二四)に浦添に隠遁して浦添王子となり、荒廃していた城郭を呉起良(中西親方宗義)が改修して居館にした。それ以後浦添グスクは浦添家の居館となり、四代目の尚寧は琉球国王となった。一六〇九年の島津氏の琉球侵攻で焼打ちされ(「喜安日記」など)、城塞的グスクとしての機能は終わった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報