浮金村(読み)うきがねむら

日本歴史地名大系 「浮金村」の解説

浮金村
うきがねむら

[現在地名]小野町浮金

吉野辺よしのべ村の西、北は黒石くろいし(八九六・四メートル)高柴たかしば(八八四・四メートル)、南は一盃いつぱい(八五五・三メートル)日影ひかげ(八七九・三メートル)に囲まれた高原の村。永禄一一年(一五六八)七月吉日の熊野山新宮年貢(青山文書)に田村庄六六郷のうちとして「六段 五百文 うきかね」とみえ、熊野新宮に五〇〇文の年貢を納めていた。天正一四年(一五八六)一〇月一三日の熊野山新宮年貢帳(同文書)にも「六段 五百文 浮金」とある。江戸時代の領主変遷は吉野辺村に同じ。文禄三年(一五九四)の蒲生領高目録に村名がみえ、高六八八石余、田丸氏知行地

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む