海潟村(読み)かいがたむら

日本歴史地名大系 「海潟村」の解説

海潟村
かいがたむら

[現在地名]垂水市海潟

中俣なかまた村の北に位置し、北東牛根うしねふもと村。西に湾曲した海潟湾の入江があり、前に江之えの島、その後方に桜島を望む景勝地である。海潟浦がある。陸路は海岸沿いに中俣村へ至り、牛根郷へは脇登わきのぼりから山を越え(王瀬越)、麓村に通じた。桜島・鹿児島へは海路船が使用された。

藤姓禰寝氏系図(垂水市史料集)に藤原姓長谷義俊は「垂水中俣海潟弁済使」と記され、義俊は平安時代末期頃に当地などを領していたという。崎山さきやま中世崎山城跡がある。観応の擾乱は下大隅郡(下大隅)でも島津方と畠山直顕方の対立となり、文和四年(一三五五)四月五日には肥後種顕・種久ら下大隅の在地勢力が畠山勢を下大隅郡内の「崎山城」に引入れたため、同月一二日に島津氏久がこれを攻略している(同年四月二〇日「島津氏久請文」旧記雑録)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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